みなさん、こんにちは。
キャリカク小山駅利用者のMです。
今日、草間彌生さんの訃報を知りました。
世界的に知られている前衛芸術家、草間彌生さん。
97歳。
草間さんは8月14日に都内の病院で亡くなり、今日になって公式に発表されたそうです。
ニュースを見た瞬間、
「草間彌生さん、亡くなったんだ……」
と、なんとも言えない気持ちになりました。
私は正直、美術にものすごく詳しいわけではありません。
難しい作品の意味を読み解いたり、芸術史を語ったりすることもできません。
でも、草間彌生さんの作品は知っています。
あの水玉。
そして、かぼちゃ。
一度見たら忘れられない、あの独特の世界。
赤や黄色、黒や白。
無数の水玉が広がっていて、どこか不思議で、少し怖いような、それなのに見ていると楽しくなるような。
「これ、草間彌生さんの作品だ」
と、名前を知らなくても分かってしまう。
それくらい、唯一無二の存在だったのだと思います。
草間彌生さんは1929年、長野県松本市生まれ。
幼い頃から幻視や幻覚を体験し、それらを水玉や網目などの作品に取り入れていったとされています。
1957年には渡米し、ニューヨークを拠点に活動。
絵画だけではなく、彫刻やインスタレーション、パフォーマンス、小説、詩など、本当に幅広い分野で表現を続けました。
そして、長い長い人生の最後まで、作品を作り続けていた。
ここが一番心に残りました。
公式発表によると、草間さんは「亡くなる直前まで絵筆を手放すことなく」、97年の人生を芸術に捧げたそうです。
97歳ですよ。
普通なら、
「もう十分頑張った」
と思ってしまう年齢かもしれません。
でも草間さんにとっては、年齢よりも「まだ描きたい」という気持ちのほうが強かったのかもしれません。
芸術家だから当然、と言ってしまえばそれまでなのですが、
最後まで自分の好きなことを続ける。
自分が表現したいものを表現し続ける。
それって、簡単なようで、実はとても難しいことだと思います。
草間彌生さんの作品を見ていると、
「この人にしか見えていなかった世界があったんだろうな」
と思います。
私たちが普通に見ている世界と、草間さんが見ていた世界。
それを水玉や網目、鏡、かぼちゃなどを通して、私たちにも見せてくれた。
だからこそ、世界中の人が惹きつけられたのかもしれません。
特に有名なのが「かぼちゃ」です。
黄色いかぼちゃに黒い水玉。
直島などにある作品をテレビやSNSで見たことがある人も多いと思います。
私は「草間彌生」と聞くと、やっぱり最初にあの黄色いかぼちゃが浮かびます。
子どもが見ても、
「なんだこれ?」
と思うような分かりやすさがある。
でも、大人が見ると、そこにまた違った意味を感じる。
そんなところも、草間作品のすごさなのかもしれません。
そして、草間彌生さんは2016年には日本の文化勲章も受章しています。
日本を代表する芸術家として、世界中で知られる存在になりました。
けれど、その人生は最初から順風満帆だったわけではありません。
海外へ渡り、自分の作品を世の中に認めてもらうために挑戦し続けた。
時代的にも、今とは違って日本人女性が海外で芸術家として活動することは、決して簡単ではなかったはずです。
それでも、自分の世界を手放さなかった。
だからこそ、97歳になった今でも、作品が新しく感じられるのだと思います。
人が亡くなると、その人がいなくなったことに寂しさを感じます。
でも、芸術家の場合は少し違うのかもしれません。
本人はいなくなってしまっても、作品は残る。
これから何十年、何百年と、誰かが作品を見る。
「この水玉、すごいな」
「このかぼちゃ、かわいい」
「なんだか不思議な世界だな」
そんなふうに感じる人が、これからもきっと現れる。
そう考えると、草間彌生さんは完全にいなくなってしまうわけではないのかもしれません。
今日、草間彌生さんの訃報を知って、改めて思いました。
自分が生きた証が、何かの形で残るってすごいことだな、と。
そして、最後まで絵筆を握っていたということにも胸を打たれました。
「好きなことを続ける」
言葉にすると簡単だけれど、人生ではなかなかできないこと。
草間彌生さんは、それを97年間続けた人だったのだと思います。
これから美術館で草間さんの作品を見るとき。
街中で水玉模様を見かけたとき。
黄色いかぼちゃを見たとき。
きっと今日の訃報を思い出すんだろうな。
「草間彌生さんが亡くなったんだな」
と。
そして、その作品を見ながら、
「最後まで描き続けたんだな」
と思うのかもしれません。
97年間、本当にお疲れさまでした。
たくさんの人に、忘れられない景色を残してくれてありがとう。
草間彌生さんの描いた水玉の世界は、これからもずっと、私たちの記憶の中に残っていくのだと思います。
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