みなさん、こんにちは。
キャリカク小山駅利用者のMです。
私は長い間、「普通」でいなければならないと思って生きてきました。
学生時代は、みんなと同じようにできることが大切だと思っていました。大人になってからも、「普通の家庭」「普通の親」「普通の働き方」など、気づけばいつも誰かが決めた基準を追いかけていました。
でも、ある時ふと思ったのです。
そもそも「普通」って何だろう。
100人いたら100通りの生活があります。
朝が得意な人もいれば苦手な人もいる。
大勢で過ごすのが好きな人もいれば、一人の時間が必要な人もいる。
それなのに、なぜか私たちは「普通」に合わせようとしてしまいます。
私も昔は、人と違うことが怖かったです。
周りができていることができないと焦る。
みんなが当たり前にやっていることについていけないと落ち込む。
そんなことを繰り返していました。
でも今振り返ると、一番苦しかったのは「できないこと」ではありません。
「普通になろう」と無理をしていたことでした。
自分に合わないやり方を続けたり、周りと比べたり、苦手なことを隠したり。
本当は疲れていたのに、「みんな頑張っているんだから」と自分に言い聞かせていました。
ある日、「普通じゃなくても困っていないこと」に気づきました。
人より少し時間がかかることがあってもいい。
休みながら進んでもいい。
周りと違う選択をしてもいい。
そう思えるようになってから、気持ちがずいぶん軽くなりました。
もちろん今でも、人と比べてしまう日はあります。
SNSを見て落ち込むこともありますし、「もっとちゃんとしなきゃ」と思うこともあります。
でも以前のように、「普通じゃない自分はダメだ」とは考えなくなりました。
なぜなら、「普通」は人によって違うからです。
誰かにとっての普通が、自分にとっての普通とは限りません。
そして、自分に合わない普通を追いかけ続けると、いつか心が疲れてしまいます。
だから私は、「普通」を目指すことをやめました。
その代わりに、「自分が無理なく続けられるか」を大切にしています。
少し遠回りでもいい。
人と違ってもいい。
自分が納得できる生き方なら、それで十分だと思うのです。
もし今、「普通になれない」と悩んでいる人がいるなら、伝えたいことがあります。
無理に普通になろうとしなくても大丈夫です。
普通を目指すより、自分らしくいられる場所を見つける方が、ずっと楽に生きられるかもしれません
実際、「普通」という言葉は便利なようで、とても曖昧です。
学校でも職場でも、テレビやSNSでも、「これが当たり前」「こうするべき」という情報があふれています。
気づかないうちに、その基準を自分の中に取り込んでしまい、「できない自分はダメなんじゃないか」と考えてしまうことがあります。
特にSNSを見ていると、毎日きれいな部屋で暮らしている人、仕事と家庭を完璧に両立している人、いつも笑顔で過ごしている人が目に入ります。
でも本当は、その人にも悩みや苦手なことがあるはずです。
見えている部分だけを比べて、自分を責める必要はありません。
私自身、「もっと頑張らなきゃ」「みんなはできているのに」と思っていた頃は、常に何かに追われているような感覚がありました。
休んでいても罪悪感があり、失敗すると必要以上に落ち込んでいました。
けれど、自分にできることとできないことを認めるようになってから、少しずつ肩の力が抜けていきました。
苦手なことがあってもいい。
人より時間がかかってもいい。
助けを借りてもいい。
そう考えられるようになると、不思議と以前より前向きになれたのです。
「普通」を目指していた頃は、自分に足りないものばかり見ていました。
でも、「自分らしさ」を大切にするようになってからは、今あるものに目を向けられるようになりました。
人と同じであることよりも、自分が心地よく過ごせること。
それこそが、本当に大切なことなのかもしれません。
CONTACT


