朝起きた人もお昼に起きた人も夜起きた人も!!
おはこんばんは~😊
きゃり~です😻🙂
今日は何の日かな~

本能寺の変(1582年) です
1582年6月2日(旧暦)に起きた本能寺の変。日本史最大のミステリーと言われるこの事件
かつては「光秀が信長に恥をかかされた(怨恨説)」や「自分が天下を取りたかった(野望説)」が主流でしたが
最近の研究ではもっと複雑な背景が注目されています
四国説(有力視): 信長が以前の約束を翻し
光秀が仲介していた四国の長宗我部元親を攻撃しようとしたため
光秀が面目を潰され立場が危うくなったという説
暴走阻止説: 朝廷の権威を軽視し
自らを神格化しようとする信長の「暴走」を止めるための正義感からという説
黒幕説: 豊臣秀吉、徳川家康、あるいは朝廷や足利義昭が裏で糸を引いていたという説
特に秀吉は、事件後の「中国大返し」があまりに早すぎたため、疑われることが多いです
光秀が最も恐れたのは、信長が生き延びることでした
しかし、必死の捜索にもかかわらず、信長の遺体はついに発見されませんでした
完全焼失説: 当時の本能寺は大量の火薬が備蓄されていたという説もあり
爆発的な火災によって骨も残らず灰になったという考え方
宣教師ルイス・フロイスも「毛髪も残らなかった」と記しています
阿弥陀寺への持ち出し説: 京都の阿弥陀寺の僧侶が、混乱に乗じて信長の遺骸を運び出し
密かに葬ったという伝承です。実際、この寺には信長の墓(信長公本廟)が存在します
当時の本能寺は、単なる寺院ではありませんでした
城郭寺院: 高い石垣や深い堀に囲まれ、有事の際の拠点として機能する「城」に近い構造でした
なぜ無防備だった?: それほどの防御力を持ちながら
信長の周囲にはわずか100人足らずの側近しかいませんでした
光秀の1万3,000人の軍勢に対しては、あまりに無防備すぎたことが悲劇を招きました
実は、本能寺という寺は何度も火災で焼失しており、そのたびに再建されています
面白いのが、本能寺の「能」という字の右側(ヒ)は「火」に通じるため
火災を嫌って、意図的に「能」の字を少し変えて
(右側を「去」のような形にして)表記する習慣が今も公式に残っています
豆知識: 信長が最期に放ったとされる有名な言葉「是非に及ばず」
これは「善いも悪いもない(どうしようもない、仕方ない)」という意味ですが
光秀の謀反を知った際、信長はその理由を問うまでもなく
自分の運命を瞬時に悟ったのかもしれません
歴史のif(もしも)を考えると、もし信長が生きていたら
日本の近代化はもっと早く進んでいたかもしれませんね😁😁
キャリカク前橋駅前オフィス
群馬県前橋市表町1-12-1セントラルビルB
(電話)027-289-4548
(FAX) 027-289-4548
(インスタ)
https://www.instagram.com/kyarikaku_maebashi?igsh=djA4YWlzMzdsMDI1
CONTACT


