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今日は何の日かな~

🍏 河童忌(かっぱき / 芥川龍之介の忌日) です
7月24日の「河童忌(かっぱき)」。 大正時代を駆け抜け、日本の文学史に今も燦然と輝く天才文豪・芥川龍之介が、35歳という若さで自ら命を絶った忌日です。
彼の命日がなぜ「河童」と呼ばれるようになったのか、そして彼が遺したもの。
文豪の忌日には、その人の生涯や代表作にちなんだ美しい名前(太宰治の「桜桃忌」など)がつけられることが多いですが、芥川の場合は「河童忌」、または初期の雅号(ペンネーム)にちなんで「澄江堂忌(ちょうこうどうき)」とも呼ばれます。
「河童」と呼ばれる最大の理由は、彼が亡くなった1927年(昭和2年)の正月に発表した晩年の傑作短編小説『河童』に由来しています。
この作品は、精神病患者の男が「河童の国」に迷い込み、人間の社会をあべこべにしたような河童たちの奇妙な習俗を体験する物語です。一見するとユーモラスな風刺文学ですが、その底には、当時の芥川自身が抱えていた人間社会への不信感や、生きることへの深い苦悩がこれでもかと詰め込まれていました。
また、芥川自身も生前、妙に手足が長く痩せ細った自分の体型を自嘲するように、河童のイラストを好んで色紙などに描いていたことから、友人やファンによってこの名前が定着しました。
1927年7月24日の未明、芥川は東京・田端の自室で致死量の睡眠薬を飲み、静かに息を引き取りました。枕元には、妻や友人、そして子供たちに宛てた数通の遺書が残されていました。
その中の一通、『ある旧友へ送る手記』に書かれていたのが、今もなお語り継がれるあの言葉です。
「僕の将来に対する唯(ただ)ぼんやりした不安である」
自殺の動機を問う世間に対し、彼は理路整然と、しかしこれ以上ないほど繊細にその理由を綴りました。 当時は大正から昭和へと時代が移り変わり、社会の仕組みや価値観がガラリと変わろうとしていた激動の時代。人一倍に鋭い感性を持っていた芥川は、時代の閉塞感や、人間の心の奥底にあるエゴイズムを誰よりも敏感に察知し、その「ぼんやりした不安」の重圧に心が耐えきれなくなってしまったのかもしれません。
彼の死は、当時の文学界だけでなく、日本中の知識人や若者たちに凄まじい衝撃を与え、ひとつの時代(大正教養主義)の終焉を告げる象徴的な事件となりました。
芥川の死を誰よりも悲しんだ人物のひとりが、学生時代からの大親友であり、のちに文藝春秋を創設する文豪・菊池寛(きくち かん)でした。
実業家としても才能を発揮していた菊池寛は、若くして逝ってしまった天才の業績を称え、そして彼のように才能がありながらも生活に苦しむ若い無名作家を世に送り出すために、1935年(昭和10年)に「芥川龍之介賞(芥川賞)」を創設します。
今や日本で最も有名な文学賞となった芥川賞は、文字通り彼が命を削って日本の文学界に遺していった最高のバトンとなりました。
短くも鮮烈な生涯の中で、『羅生門』『鼻』『蜘蛛の糸』『地獄変』など、今読んでも全く色褪せない完璧なプロットの傑作を数多く残した芥川龍之介。
7月24日の「河童忌」には、彼が愛した河童の姿に思いを馳せながら、どこかお気に入りの静かな場所で、彼の短編をゆっくりと1編、贅沢に読み直してみたくなりますね。
ほんとに凄い人って短命の方が多いですよね。きゃり~はなんもないから長生きするのかしら・・・でも、みんな長生きしてほしいですね~💕💕🤩
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