朝起きた人もお昼に起きた人も夜起きた人も!!
おはこんばんは~😊
きゃり~です😻🙂
今日は何の日かな~

民放テレビスタートの日(1953年) です
1953年8月28日午前11時20分。日本テレビが「鳩の休日」の映像とともに日本初の民間放送として産声をあげたこの日は、日本のエンタメと広告の歴史が始まった瞬間でした。
テレビがまだ超高級品だった時代の熱気や、今では信じられないような伝説の「放送事故(ハプニング)」の裏側
民放テレビのスタートということは、「日本で初めてテレビにスポンサー企業のCMが流れた日」でもあります。
その記念すべき日本初のテレビCMの枠を買い取ったのは、時計メーカーの「服部時計店(現在のセイコー)」でした。お昼の正午を知らせる「30秒の時報CM」です。
お茶の間(といっても当時は街頭テレビですが)が注目する中、運命の正午を迎えました。しかし、ここで日本のテレビ史に残る大ハプニングが発生します。
ちなみに、同日の夜の時報(午後7時)のCMでは無事に大成功を収め、リベンジを果たしています。この失敗から日本のテレビマンたちの挑戦が始まりました。
1953年当時、テレビは1台が約20万〜25万円もする超・超・高級品でした。当時の大卒サラリーマンの初任給が約1万円という時代ですから、一般の家庭に買えるわけがありません。
そこで日本テレビが仕掛けたのが、駅の前や公園、神社などに巨大なテレビを設置する「街頭テレビ」という大作戦でした。
これが大ヒット。特にプロレス中継(力道山など)やプロ野球中継が放送される日の夜には、1台のテレビの前に数千人から、多いときには数万人もの群衆が押し寄せ、肩を組み合って大声援を送りました。お家で静かに観る現在のテレビとは違い、当時のテレビは街全体が一体となって熱狂する「お祭り」そのものだったのです。
ここでテレビの電波にまつわる、地元・群馬ならではのちょっとマニアックな深掘りを。
1953年に東京で始まったテレビ放送ですが、群馬県民が地元のニュースや独自の番組を観られるようになったのは、それからしばらく経った1970年代以降のことです。
群馬県民にとっておなじみのローカル局「群馬テレビ(群テレ)」が映る仕組みには、群馬の象徴である赤城山がとても重要な役割を果たしています。
| 電波塔の場所 | 役割 |
| 赤城山(地蔵岳山頂) | 群馬テレビの「主局(一番親玉の電波塔)」がここにあります。標高1,600メートルを超える高い場所から電波を飛ばすことで、前橋市や高崎市をはじめ、遮るもののない広大な「関東平野」一帯に一気にテレビの電波を届けることができます。 |
普段、前橋の街中から何気なく見上げている赤城山の山頂には、私たちの毎日のテレビ生活や、地元のニュースを24時間支え続けてくれている大切な電波の要が立っているんですね。
ギネスにも載った?日本一長寿なあの番組も…
民放テレビのスタート以降、数々の名作番組が生まれました。日本で最も長く続いている民放の番組といえば、1962年から放送されている日本テレビの『キユーピー3分クッキング』や、1966年スタートの『笑点』などがあります。昭和・平成・令和を駆け抜ける怪物番組のルーツも、すべてはこの1953年8月28日の1本のバタバタ劇から繋がっています。
お昼のCMのハプニングから始まった日本の民放テレビ。今ではスマホや配信でいつでも動画が観られる時代になりましたが、夏の終わりにテレビのスイッチを入れて、当時の熱い生放送の空気に思いを馳せてみるのも面白いですね。
民放第一号が日本テレビだったんですね~!きゃり~はよく見ます。月曜から夜更かしとか好きです!😹😹👍
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