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おはこんばんは~😊
きゃり~です😻🙂
今日は何の日かな~

🏐 米騒動の日 です
歴史の教科書で必ず習う有名な出来事ですが、実はこの大騒動の最初の一歩を踏み出したのは、政治家でも志士でもなく、富山県の海岸沿いに暮らす「漁師の奥さん(主婦)たち」でした。
家族の命と日々の食卓を守るために立ち上がった女性たちの勇気が、またたく間に日本全国を揺るがす大事件へと発展していった。
大正7年のこの日、富山県魚津町(現:魚津市)の海岸に、十二、三人の漁師の主婦たちが集まりました。
彼女たちの目の前にあったのは、港に停泊している1隻の汽船(伊吹丸)。そこには、地元の米がぎっしりと積み込まれ、今まさに北海道へ向けて出港しようとしていました。
「私たちの食べる米がないのに、なぜ他の土地へ持っていってしまうのか!」
当時、米の価格は恐ろしい勢いで跳ね上がっており、庶民は今日食べるお米を買うことすら満足にできない極限状態でした。それなのに、目の前で地元の貴重なお米が運び出されていく――。 耐えかねた女性たちは、米を積み込んでいた業者や船に向かって、**「米の積み出しを止めてくれ!」「地元の人に安く分けてくれ!」**と必死の抗議(いわゆる米よこせ運動)を行いました。
これが、のちに日本全国を巻き込むことになる「大正米騒動」の、まさに最初の引き金となった瞬間です。
そもそも、なぜこれほどまでにお米の価格が高騰してしまったのでしょうか。それには、当時の世界情勢と、一部の業者による「仕掛け」が関係していました。
これにより、わずか1〜2年の間にお米の値段が「約3倍〜4倍」にまで爆発的に跳ね上がり、庶民の生活は完全に崩壊寸前になっていたのです。
魚津の主婦たちの行動は、新聞で「越中女一揆(えっちゅうおんないっき)」などと大きく報じられました。これを見た全国の真面目に苦しんでいた人々が、「そうだ、自分たちも黙っていられない!」と一斉に立ち上がります。
富山から始まった火は、名古屋、京都、大阪、神戸、そして東京へと一気に燃え広がり、最終的には「1道3府37県」、なんと全国数百箇所にまで拡大。 怒った群衆が米商店を襲ったり、売り惜しみをしていた大富豪の建物を焼き打ちしたりする事態に発展し、警察だけでなく軍隊までが出動する、大正時代最大の社会暴動となったのです。
最終的に、時の総理大臣であった寺内正毅(てらうち まさたけ)内閣が責任をとって総辞職に追い込まれるという、日本の政治史をもひっくり返す結末を迎えました。
最初は、子どもや家族にお腹いっぱいご飯を食べさせたいという、お母さんたちの切実な願いから始まった7月23日の行動。
現代の私たちは、スーパーに行けばいつでも美味しいお米が手に入りますが、お茶碗いっぱいの白いご飯を前にしたとき、100年以上前に食卓を守るために命がけで声を上げた人たちの熱い歴史に、ちょっとだけ思いを馳せてみるのも深いものがありますね。
少し前までお米の価格が上がって大変でしたよね~。パスタやうどんに切り替えた日もちょくちょくきゃり~はありました。ようやく落ち着いてきゃり~はうれしいかぎりです!!😍😍
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