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今日は何の日かな~


ポンペイ最後の日(西暦79年) です
西暦79年に起きたヴェスヴィオ火山の噴火。一瞬にして一つの都市が消滅した「ポンペイ最後の日」は、歴史の教科書や映画、小説などでも語り継がれる人類史上最大の悲劇の一つです。
ポンペイの街は、火山の溶岩によってドロドロに溶かされたわけではありません。最大の原因は「火砕流(かさいりゅう)」と「火山灰」でした。
噴火が始まると、大量の軽石や灰が雨のように降り注ぎ、街の建物の屋根を押し潰していきました。そして翌朝、時速100km以上の猛スピードと、数百℃という超高温の熱風(火砕流)が容赦なく街を襲いました。
人々は逃げる間もなく熱風に包まれ、その直後に降り積もった大量の火山灰が、街全体を約8メートルもの深さに閉じ込めてしまったのです。空気が完全に遮断されたことで、街全体の腐食がストップし、当時のパンの形、壁画の鮮やかな色彩、選挙のポスター、さらには居酒屋の落書きまでが、そのまま1,700年後の未来へタイムカプセルのように遺されることになりました。
ポンペイ遺跡を訪れると、苦しそうな姿勢で倒れている人間のリアルな姿(像)を目にすることがあります。これは、遺跡から発掘された彫刻などではなく、当時の犠牲者の「肉体の生きた跡」です。
火山灰の中に埋もれた人々の肉体は、長い年月の間に朽ちて消え去り、そこには人間の形をした「空洞」だけが遺されました。 19世紀の発掘調査の際、考古学者たちがこの奇妙な空洞を発見し、「ここに石膏を流し込んでみたらどうなるだろう?」と試したところ、苦しむポーズをした当時の人々のリアルな姿が浮かび上がってきたのです。衣服のシワや、飼われていた犬が悶える姿までがそのまま再現され、当時の恐怖を今に伝えています。
長年、歴史の教科書には「ポンペイの噴火は8月24日」と明確に記されていました。これは、当時の歴史家・小プリニウスが残した手紙の記述が根拠だったからです。
しかし近年の発掘調査によって、「実は8月ではなく、10月後半だったのではないか」という証拠が次々と見つかり、歴史が大逆転しています。
現在では、歴史書の「翻訳ミス」や「写し間違い」が原因で8月になっていただけで、実際の噴火は10月24日頃だったという説がほぼ確実視されています。
すべてを予言していた?「前兆の地震」 噴火が起きる17年前の西暦62年、ポンペイは大地震に襲われて大打撃を受けていました。実はこれがヴェスヴィオ火山が目覚める大きな前兆だったのですが、当時のローマ人たちはそれが火山のサインだとは気づかず、街をより豪華に復興させている最中に、あの運命の日を迎えてしまいました。
今もなお発掘が続けられているポンペイ遺跡。8月24日は「ポンペイ最後の日」という記念日の名前として残っていますが、そこには歴史のロマンと、科学の進歩によって塗り替えられる新しい真実が隠されています。
群馬でも浅間山が大噴火して大変だったと聞いたことがあります。地震もそうですが天変地異はほんとこわいですよね~。みなさんも備えて置きましょう!🧐🧐👍
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