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今日は何の日かな~

日本初の私鉄「日本鉄道」が上野〜熊谷間を開通(1883年) です
1883年(明治16年)6月18日
日本初の私鉄である「日本鉄道」が上野駅から熊谷駅までの区間を開通させました
これは現在のJR高崎線の誕生であり、日本の鉄道史、そして群馬県の発展において極めて重要な出来事です
明治初期、鉄道建設は国(官営)が進めていましたが
西南戦争などの影響で国庫が底をつき、建設がストップしてしまいました
「民間の力で鉄道を!」:そこで、岩倉具視らの呼びかけにより
華族や士族が出資して誕生したのが日本初の私鉄「日本鉄道」でした
実質は国営?:私鉄とはいうものの、技術指導や運行管理は国が行うという
現在でいう「官民連携(PPP)」のような形態でした
この路線の最大の目的は、群馬県(高崎・前橋)で生産される生糸を横浜港へ素早く運ぶことでした
「絹の道」の近代化:それまでは利根川の舟運や馬車で運んでいましたが
天候に左右されず大量輸送ができる鉄道の開通は、日本の外貨獲得の柱であった絹産業に革命をもたらしました
「上野〜熊谷」は第一歩:1883年のこの日は熊谷まででしたが
翌1884年にはついに高崎、そして前橋へと延伸されました
開通初日の上野駅は、見たこともない「陸蒸気(おかじょうき)」を一目見ようと、黒山の人だかりができたといいます
所要時間:上野から熊谷まで、当時は約2時間半〜3時間ほどかかっていました
今では高崎線(快速アーバンなど)で1時間弱ですから、当時の人々にとっては驚異的なスピードアップでした
「赤羽駅」はなかった?:開通当初の停車駅は、上野、王子、浦和、上尾、鴻巣、熊谷のわずか6駅
後に埼京線や東北本線との分岐点となる赤羽駅などは、まだ存在していませんでした
鉄道の開通は、単に物を運ぶだけでなく、「駅弁文化」の発展にも寄与しました
高崎駅の弁当:後に高崎まで開通すると、有名な「だるま弁当」や「鶏めし」など
旅の楽しみが生まれることになります
「朝飯(朝鮮飯店)」への道のり?:中学の同級生と集まって盛り上がるような
今の群馬の活気ある交流も、この時始まった鉄道が人々の移動を自由にしたからこそと言えるかもしれません
日本初の鉄道といえば新橋〜横浜間ですが、あちらは海岸沿いの平坦な道
対して日本鉄道の路線は、荒川の氾濫原を避けながら
群馬への緩やかな登り坂を駆け上がるルート作りが必要で
当時の技術者たちにとっては非常にやりがいのあるプロジェクトだったそうです
もし今日、高崎線や湘南新宿ラインに乗ることがあれば
140年以上前に「絹を運ぶために引かれた線路」であることを思い出してみてください
車窓から見える景色が、少しだけ歴史ドラマのように見えてくるかもしれません
さすが群馬です!これは素晴らしい発展ですよね
まさに繭と生糸は日本一!!👍👍👍😎😎😀
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