朝起きた人もお昼に起きた人も夜起きた人も!!
おはこんばんは~😊
きゃり~です😻🙂
今日は何の日かな~

⚓ ペリー上陸記念日 です
7月14日の「ペリー上陸記念日」
学校の歴史の授業で「黒船来航」として必ず習う超重要なできごとですが
実は「初めて教科書的な黒船が現れた日」と「ペリーが日本の土を踏んだ日」には
少しズレがあるのをご存知でしょうか
よく「1853年に黒船が来た」と言われますが
ペリー率いるアメリカ艦隊が現在の神奈川県横須賀市の浦賀(うらが)の沖合に現れたのは
7月8日(旧暦6月3日)のことでした
そこから幕府との間で「どこで国書(アメリカ大統領からの手紙)を受け取るか」
という激しい押し問答が続きます
そしてついに、浦賀のすぐ隣にある久里浜(くりはま)に特設の応接所が建てられ
ペリーが約300人の護衛兵を従えて初めて日本の土を踏んだのが
6月9日――新暦に直すと「7月14日」だったのです
つまり、7月14日は「黒船を見に野次馬が集まった日」ではなく
「日米のトップが初めて公式に接触した、真の開国記念日」と言えます
当時の江戸幕府は、文字通りひっくり返るほどの大パニックに陥っていました
泰平の 眠りを覚ます 上喜撰(じょうきせん) たった四杯で 夜も眠れず
この有名な狂歌の通り、当時の人々は夜も眠れないほどの恐怖と興奮に包まれます
ペリーの要求は「アメリカの船が寄港できるように、国を開きなさい(開国しなさい)」というもの
しかし、200年以上も鎖国を続けてきた幕府が
その場ですぐに「はい、わかりました」と言えるはずがありません
そこで幕府が使ったウルトラCの作戦が、「究極の時間稼ぎ」でした
7月14日の公式会談の席で、幕府は「大統領の国書はたしかに受け取りました
しかし、今の将軍は重い病気(※実際、この数日後に将軍・徳川家慶は亡くなります)で
こんな大事な決定はすぐにはできません。返事は来年まで待ってください」とペリーに伝えたのです
ペリーも「よし、わかった。じゃあ来年の春、また返事をもらいにここへ戻ってくる」と言い残し
数日後にあっさりと日本を去っていきました。日本はこの時、1年間の執行猶予を手に入れたわけです
緊迫した対決のイメージがある7月14日ですが、幕府側はアメリカを刺激しないよう
裏では驚くほどの「おもてなし(接待)」を用意していました
会談の場では、ペリー一行に日本の最高級のお菓子や
冷たい高級茶(上喜撰)などが振る舞われたと記録されています
また、ペリー側も日本の役人たちを黒船に招いて
本場のアメリカ料理やウイスキー、シャンパンなどを惜しみなくご馳走しました
言葉は通じず、お互いに大砲を向け合える状況でありながら
民間レベルでは「意外と和やかな国際交流」が始まっていたのも、この上陸劇の面白い裏話です
この1年後の1854年、ペリーは約束通り(しかも予定より前倒しで)再び日本へやってきて、ついに「日米和親条約」が結ばれることになります
日本の長い眠りが覚め、明治維新へと向かうすべてのカウントダウンが始まった7月14日
もし横須賀の久里浜に行く機会があれば
今も残る「ペリー公園」や記念碑を見ながら、当時の「夜も眠れなかった」人たちの熱気に思いを馳せてみるのも面白いですね
きゃり~はペリーとザビエルとマッカサーがどれだか分からなくなる時があります。結構おバカなきゃり~😭😭👍
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