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きゃり~です😻🙂
今日は何の日かな~

美空ひばりさんに国民栄誉賞(1989年) です
昭和を象徴する歌姫、美空ひばりさん。彼女が国民栄誉賞を受賞した背景には、日本中が涙した物語があります。
1. 死後に贈られた「女性初」の栄誉
実は、美空ひばりさんが国民栄誉賞を受賞したのは、亡くなった直後のことでした。
1989年6月24日: 52歳の若さでこの世を去りました。
1989年7月6日: 女性として初めて、そして歌手としても初めて国民栄誉賞の授与が決定しました。
授与の理由: 「真摯な精進をもって 歌謡曲を通じて国民に夢と希望を与えた」こと。戦後の焼け野原から復興していく日本人の心に、彼女の歌声がどれほど寄り添ってきたかが公的に認められた瞬間でした。
受賞当時、日本中で流れていたのが遺作となった『川の流れのように』です。
秋元康さんの作詞: 当時、まだ若手だった秋元康さんが作詞を手がけました。
NYでのレコーディング: 晩年、体調が万全でない中でニューヨークへ渡り、魂を削るようにして吹き込まれた曲です。
不滅のメロディ: 亡くなった後の1989年末、この曲で日本レコード大賞の金賞を受賞(大賞は別の曲でしたが、特別栄誉歌手賞が贈られました)。今や「日本の歌」として世界中で愛されています。
実は、美空ひばりさんは群馬県にもたびたび足を運んでいました
県内各地でのコンサート 前橋や高崎などの主要都市はもちろん
熱狂的なファンが多く、巡業では欠かせない場所でした
温泉地でのひととき 喉の静養や疲れを癒やすために、群馬の温泉地を訪れることもあったと言われています
地元の方々にとって、彼女が街に来ることは、現代のスターが来る以上の「大事件」であり、最高の娯楽でした
ひばりさんは9歳でデビューしましたが、当初は「子供が生意気だ」と批判されるなど
決して順風満帆ではありませんでした
戦後の希望 それでも、彼女の明るい歌声(『東京キッド』など)や、切ない歌声(『リンゴ追分』など)は、傷ついた人々の心を癒やしました。
不死鳥コンサート 1988年、大病から復帰して東京ドームで行われた「不死鳥コンサート」は伝説です
足の痛みに耐えながら、100メートルの花道を歩ききり
全39曲を歌い上げた姿は、まさに国民的スターそのものでした
7月6日は、彼女の功績が「永遠」になった日とも言えます
ちなみに、ひばりさんは甘いものが大好きだったみたいです。きゃり~も好き!!💕💕
彼女を偲んでちょっと豪華なスイーツを楽しむのもいいかもしれません🙂🙂👍
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