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きゃり~です😻🙂
今日は何の日かな~

日本初の「乗合自動車(バス)」が運行開始(1903年) です
1903年(明治36年)8月27日、京都の街に初めて登場した「乗合自動車(バス)」。それは現代の私たちが毎日見かける大型バスとはずいぶん違う、レトロで、そして開業早々に大トラブルに見舞われた波乱万丈のスタートでした。
現代のバスといえば、何十人もの乗客を乗せて走る大きな車両を思い浮かべますが、明治36年に京都の堀川〜今出川〜祇園の間で運行を始めた最初のバスは、「定員わずか6人」の小さな車でした。
フランス製の「ダラック号」という蒸気自動車(のちにガソリン車)を改造したもので、今で言う「ミニバンの屋根を取り払ったオープンカー」のようなスタイル。車体には木製のベンチのような座席が据えられていました。
当時はまだ馬車や人力車、路面電車しか走っていなかった時代です。エンジンの爆音を響かせながら、煙を吐いて走る「お化けのような車」を一目見ようと、沿道には京都の街の人々が黒山の人だかりを作ったといいます。
この日本初のバスビジネスを立ち上げたのは、二人の熱き実業家(高木文平、田中太助)でした。しかし、その船出はトラブルの連続でした。
相次ぐ車両の故障:当時の未熟なテクノロジーで作られた車だったため、京都のガタガタの未舗装路を走るとすぐに部品が壊れ、開業してわずか4日目で修理のために運行休止に追い込まれてしまいます。
人力車組合からの猛烈なバッシング 一番の敵は、自分たちの仕事を奪われると危機感を持った「人力車の車夫(しゃふ)たち」でした。彼らはバスの前に立ち塞がって運行を妨害したり、時には車に石を投げつけるといった過激な抗議活動を行い、社会問題にまで発展しました。
さらに、当時の警察(京都府知事)からも「そんな危険な乗り物は許可できない」と厳しい規制をかけられ、乗客を乗せるために様々な条件をクリアしなければなりませんでした。
京都でのスタートは苦難の連続でしたが、この「乗合自動車」の便利さにいち早く目をつけ、日本で本格的な「定期路線バス」のネットワークを爆発的に普及させた偉人がいます。
それが、ここ群馬県にも非常にゆかりの深い、実業家の坪井航三(つぼい こうぞう)らです。
明治40年代、群馬県では高崎や前橋といった都市部から、
伊香保温泉(渋川市)などの山間部にある有名な温泉地へ向かう観光客の交通手段が大きな課題でした。
それまでは馬車で何時間もかけて移動していたのです。
そこに坪井らが目をつけ
高崎・前橋〜渋川〜伊香保を結ぶ本格的な「乗合自動車」の定期運行をスタートさせました。
これが大ヒットを記録。「馬車より圧倒的に早くてモダンだ!」と評判になり
群馬の温泉観光の発展をハイスピードで加速させる原動力となりました。
京都が「最初の産声をあげた場所」なら、群馬などの温泉地は「バスが公共交通として大人の階段を上った場所」と言えます。
なぜ現在の「バスの日」は9月20日なの? ここで一つの疑問が浮かびます。
日本初のバスが走ったのは「8月27日」なのに、国が定めている正式な「バスの日」は9月20日になっています。
実は、明治36年の8月27日は「試運転」や小規模な運行の開始日であり、警察からの正式な営業許可が下りて、書類上もバッチリ「定期路線バス」として京都の街を本格的に走り出したのが1903年9月20日だったため、こちらの日付が公式の記念日として採用されました。
当時は6人乗りのオープンカーから始まり、人力車に邪魔をされていたバス。
それがいまや、地域の足として、そして観光の主役として日本中を網の目のように結んでいると思うと、当時の先人たちの諦めない挑戦に拍手を送りたくなりますね。
テレビ東京のバス旅とか好きで見てるんですけど、良く、バス乗ってないじゃんてきな感じが多いです。
本数も少なくなったり、廃線になったりが多くなってるみたいですよね。きゃり~もたまに乗ります!そのうち自動運転が主流になるんでしょうね。ちょっと、きゃり~は怖いです🧐🧐😭
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