おはこんばんは~😊
きゃり~です😻🙂
今日は何の日かな~

航空安全への祈りの日 / 日航ジャンボ機墜落事故(1985年) です
単独の航空機事故としては世界最悪の犠牲者(520名)を出した、日本の歴史に深く刻まれている大惨事です。
この事故の背景や、いまなお語り継がれる奇跡。
123便(ボーイング747)は、羽田空港を離陸してわずか12分後、相模湾上空で「ドーン」という爆発音とともに垂直尾翼の大部分を失いました。
同時に、機体をコントロールするための「油圧システム」がすべて一瞬で機能停止。これは、車でいえば「時速1,000km近くで走っているのに、ハンドルもブレーキも一切効かない」という絶望的な状態です。
そこから墜落までの約32分間、機長をはじめとするコックピットの3人は、エンジンの左右の出力を細かく調整すること「だけ」で、なんとか機体を立て直そうと必死の死闘を続けました。ボイスレコーダーに記録された、緊迫した状況下でも冷静に指示を出し続ける機長たちの声は、のちに多くの人の胸を打ちました。
操縦不能になった機内は、激しい乱高下と振動に襲われ、酸素マスクが降りてくる極限状態でした。その恐怖の中で、数名の乗客が家族へ宛てた「遺書」をノートの切れ端や手帳に書き残していました。
「マリコ 津慶 知代子 どうか仲良く がんばって ママをたすけてください パパは本当に残念だ きっと助かると思う 帰るスペース(※機内空間)が少しでもあると思ったら 本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している」
これはある父親が、激しく揺れる機内で必死にペンを走らせた遺書です。パニックに陥らず、残される家族の幸せを願い、これまでの人生に感謝する言葉が並んだこれらの遺書は、のちに公開され、日本中が涙しました。
ジャンボ機は、群馬県多野郡上野村の「御巣鷹の尾根」に墜落。激しい衝撃と炎上により、絶望的と思われた状況の中から、翌13日の午前中に4名の女性(非番の客室乗務員、母親と娘、少女)が奇跡的に救出されました。
墜落現場は、道なき急斜面の深い山の中。夜間の捜索は困難を極め、機体の目撃情報も錯綜したため、本格的な救助活動が始まったのは翌朝でした。 救助にあたった自衛隊員や警察、地元の消防団は、想像を絶する惨状のなかで、一刻も早く生存者を見つけようと斜面を這いつくばって捜索を行いました。
事故の原因は、過去にボーイング社が行った「圧力隔壁(機内の空気を保つ壁)」の修理ミスと結論づけられました。
この事故を境に、航空業界では「4系統ある油圧ラインをすべて同じ場所に通さない(1箇所壊れても他が生き残るようにする)」という設計変更が世界基準となり、二度とこれほどの悲劇を起こさないための安全対策が徹底されることになりました。
現在も、羽田空港にある日本航空の「安全啓発センター」には、回収された123便の機体後部や、乗客の遺品、遺書が展示されており、航空安全の原点として全社員の研修に義務付けられています。
毎年この時期になると悲しい気持ちになります。坂本九さんもこの飛行機に乗っていたんですよね。本当にご冥福をお祈りします。
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