朝起きた人もお昼に起きた人も夜起きた人も!!
おはこんばんは~😊
きゃり~です😻🙂
今日は何の日かな~

🕊️ 広島平和記念日(原爆の日) です
1945年(昭和20年)のこの日、一発の爆弾によって広島の街は一瞬にして焦土と化し、多くの尊い命が奪われました。毎年、午前8時15分に響き渡る平和の鐘の音と黙祷の静寂は、日本人にとって夏の特別な時間です。
当時、広島市には約35万人もの人々が暮らしていました。月曜日の朝、人々がいつも通りに仕事や学校へと向かい、街が動き出したその瞬間、アメリカ軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」から原子爆弾(リトルボーイ)が投下されました。
壊滅した広島の街を見て、当時は「今後75年間は草木も生えない不毛の地になるだろう」と絶望の噂が流れました。しかし、広島の人々はそこから驚異的な強さで立ち上がります。
原爆投下からわずか3日後の8月9日、広島電鉄の路面電車が一部の区間で運転を再開しました。 焦土と化した街に、ゴトゴトと音を立てて走る電車の姿を見た市民たちは、「街が生きている!」「自分たちも負けていられない!」と、涙を流して復興への希望を抱いたといいます。
爆心地から約1.3km離れた場所にあった「アオギリ」という木は、爆風と熱線で幹の半分がえぐられ、すっかり焼け焦げてしまいました。しかし、翌年の春、その枯れたように見えた幹から、なんと新しいみずみずしい新芽が芽吹いたのです。 この姿は「生きる希望の象徴」として被爆者たちを大いに励まし、今でもその子孫の木(被爆アオギリ二世・三世)が、平和の種として世界中に贈られています。
広島の平和の象徴である「原爆ドーム」(当時は広島県物産陳列館)。周りの建物がことごとく一瞬で平らになった中、なぜこの建物だけが形を残せたのでしょうか?
そこには、奇跡とも言える物理的な理由がありました。
原爆が爆発したのは、この建物の「ほぼ真上(東に約150m、上空580m)」でした。 爆風は通常、横から建物をなぎ倒すように吹き付けますが、真上からだったために、風圧が垂直(真下)に向かってドンと かかりました。 さらに、中央のドーム部分が鉄骨の網目状で、窓も多かったため、爆風が壁を突き抜けて上手く逃げたのです。そのおかげで、奇跡的にドームの骨組みと中心の壁だけが崩壊を免れ、当時の悲劇をそのまま伝える姿で残ることになりました。
原爆ドームと向き合うように設置されている平和記念公園の「平和の池」。その奥にある「平和の灯(ともしび)」には、1964年に点火されて以来、ずっと燃え続けている炎があります。
この炎には、ある強い誓いが込められています。
「地球上からすべての核兵器が姿を消すその日まで、ずっと燃やし続ける」
世界中で核兵器が完全にゼロになった瞬間、この炎は初めて消されることになっています。裏を返せば、今もこの炎が燃え続けているということは、まだ人類の願いが叶っていないというメッセージでもあるのです。
8月6日の広島平和記念日。 この日は、過去の悲しみに涙するだけでなく、あの絶望的な焼け野原から現在の美しい広島を築き上げた人々の力強さに敬意を表する日でもあります。
午前8時15分、もしタイミングが合えばそっと目を閉じ、今ある当たり前の日常や、大切な人と過ごせる平和な日々に感謝を込めて、静かに祈りを捧げてみてはいかがでしょうか。
きゃり~は原爆ドームをみに行きました。そこで思ったのは風化は絶対させてはいけないということ、そして世界に原爆の恐ろしさを忘れさせないことだと思います。戦争は今も起こっていますが原爆はつかってはダメ!きゃり~は思います🧐🧐
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