1912年4月15日──夢の豪華客船タイタニック号は沈んだ。
日本では明治45年のことである。
タイタニック号はその後、映画の題材として幾度も映像化されたが、
私が特に記憶に残っているのは、1997年公開のジェームズ・キャメロン監督版『タイタニック』だ。
アカデミー賞11部門を制し、日本では“レオ様フィーバー”を巻き起こした名作である。
レオナルド・ディカプリオのキャリアを決定づけた作品と言っても過言ではない。
ただし映画は、レオ様演じるジャックとローズの恋愛が軸となる“恋愛映画”であり、
タイタニック号そのものは壮大な舞台装置にすぎない。
しかし今回は、沈没の日に寄せて、
「タイタニック号沈没の真相」
を深掘りしていく。
1912年4月14日夜、北大西洋。
世界最大級の豪華客船タイタニック号は氷山に衝突し、翌15日未明に沈没した。
1500人以上が命を落としたこの事故は、しばしば
「氷山にぶつかったから沈んだ」
と語られる。
だが史実を丁寧に追うと、沈めたのは氷山ではなく、
小さな凡ミスの積み重ね──油断の連鎖
だったことが見えてくる。
現代の安全工学では、事故は一つの大きなミスで起きるのではなく、
複数の“穴”が重なったときに発生するとされる。
これは スイスチーズモデル と呼ばれ、タイタニック号はその典型例である。
見張り用の双眼鏡はロッカーに保管されていたが、
前任士官デビッド・ブレアが鍵を持ったまま下船してしまった。
急な配置換えで引き継ぎが行われず、見張り員は肉眼だけで氷山を探すことになった。
当夜の海は無風・無波で、氷山の白波が立たない“最悪の視認条件”。
双眼鏡があれば、数百メートル早く発見できた可能性は高い。
複数の船から警告が届いていたが、
無線係は乗客の私信に追われ、重要な警告を後回しにした。
さらに船長は速度を落とさず、22ノットの高速航行を続けた。
「記録的な速さで到着したい」という見栄と、
「不沈船」という宣伝を信じた過信が生んだ判断だった。
訓練をしていなかったため、ボートの半分が空のまま出発し、
本来助かるはずの人々が取り残された。
これは被害を決定的に拡大させた。
鍵の渡し忘れ、警告の無視、速度の出しすぎ、訓練不足、技術への過信──
これらの凡ミスが連鎖し、最後に氷山が引き金を引いただけである。
乗組員は原則として
Women and Children First(女性と子どもを先に)
を徹底した。
紳士階級の男性は席を譲り、船員の多くは職務を全うし、自らはボートに乗らなかった。
事故の原因は油断でも、
最後の瞬間に“秩序”が残っていた
という事実は重い。
日本郵船の社員 細野正文(ほその まさふみ)──
YMOの細野晴臣氏の祖父である。
彼は救命ボートに乗って生還したが、
当時の欧米社会では「男なのに助かった」と批判された。
しかし実際には、乗員に「乗れ」と命じられた結果であり、
臆病だったわけではない。
アジア人男性が生き残ること自体が珍しい時代背景を考えれば、
むしろ彼の生還は“奇跡”に近い。
それは、人間が最後に守ろうとした“秩序”だった。

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