1959年3月17日。
この日は、日本の漫画文化にとってひとつの転換点となった日だ。
小学館の『週刊少年サンデー』と、講談社の『週刊少年マガジン』が、まったく同じ日に創刊されたのである。
今では当たり前のように並んでいる二大少年誌だが、別会社のライバル同士が同日に創刊するというのは、出版史上でも極めて珍しい出来事だ。
もちろん、これは示し合わせたわけではない。
むしろ逆で、当時の両社は“絶対に相手より先に出したい”という強烈な競争心を抱えていた。
少年向け漫画の需要が急速に高まる中、「日本初の少年週刊誌」を名乗るために、両社は水面下で準備を進め、互いの動きを探り合い、発売日を前倒しし続けた。
その結果、皮肉にも同じ日に着地してしまったというのが実情だ。
競争が生んだ偶然の一致──それが3月17日という日である。
創刊号の表紙も象徴的だ。
サンデーは長嶋茂雄さん⚾、マガジンは横綱・朝潮太郎関💪。
どちらも当時の“国民的ヒーロー🦸♂️”を据え、少年誌という新しい市場に向けて強烈なインパクトを狙っていたことが分かる。
当時の誌面は今のように漫画中心ではなく、読み物やスポーツ記事が多い“総合少年誌”だったが、それでも新しい文化の胎動を感じさせる熱気に満ちていた。
この創刊劇の裏で、もうひとつ語られるべき存在がいる。
漫画の神様・手塚治虫先生だ。
サンデーとマガジンは、創刊時から手塚先生を“看板作家”として迎えようと激しい争奪戦を繰り広げた。
結果、手塚先生は両誌で同時連載を行うという離れ業をやってのける。
週刊誌だけで複数本、月刊誌も合わせれば20本近い連載を抱えていた時期もあり、締め切り破りや逃亡劇まで含めて、昭和漫画界の伝説を作り上げた。
その天才性と混沌が、サンデーとマガジンの創刊期をさらにドラマチックなものにしている。
あれから67年。
サンデーとマガジンは数え切れない名作を生み出し、少年漫画という文化を支え続けてきた。
『タッチ』『うる星やつら』『名探偵コナン』、そして『巨人の星』『金田一少年の事件簿』『はじめの一歩』──どれも日本のエンタメ史に残る作品ばかりだ。
もし1959年のあの日、両社が競い合っていなければ、これらの作品は生まれていなかったかもしれない。
3月17日は、漫画週刊誌の日。
競争と情熱が生んだ奇跡のような創刊日を思い出すと、今読んでいる漫画の1ページ1ページが、少しだけ特別に見えてくる。
手塚治虫先生って僕みたいな昭和生まれからすると幼いころから見てた偉大な漫画家だけど若い人はどう感じてるんだろう🤔僕なんかは東京観光で、あの(トキワ荘)見に行ったくらいだしねトキワ荘からはすごい漫画家さんが沢山羽ばたいたんだ藤子不二雄先生(A・F)赤塚不二夫先生石ノ森章太郎(石森章太郎)先生など😊そしてもちろん手塚治虫先生。先ほど挙げた先生たちはみんな最初は手塚先生のアシスタントで腕を磨いたそうなんだ手塚先生が「漫画の神様」何て呼ばれる所以ですね✝️これにてご免😃

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