朝起きた人もお昼に起きた人も夜起きた人も!!
おはこんばんは~😊
きゃり~です😻🙂
今日は何の日かな~

小学校開校の日です
「小学校開校の日」を深掘りすると
そこには明治政府が命令したからではなく
「自分たちの街の未来は、自分たちの手で育てる」
という京都の人々の圧倒的な教育熱とプライドの物語が見えてきます
日本の近代教育のスタートといえば
1872年(明治5年)の「学制発布」が有名ですが
京都の小学校(番組小学校)が誕生したのはそれより前の**1869年(明治2年)**です
64校が一斉に誕生:
驚くべきことに、わずか半年の間に京都の街に64もの小学校が誕生しました
町衆(市民)の自腹だった:
これらを作る資金の多くは、政府の補助金ではなく
京都の町衆(住民)が自ら出し合った「持金(もちきん)」や寄付で賄われました
当時の小学校は、単に子供が勉強する場所ではありませんでした
多目的インフラ:
学校の敷地内には
役所のような事務を行う「番組(当時の行政単位)」の事務所、警察、消防
さらには医療施設や救済施設まで併設されていました
地域のシンボル:
まさに街の「中心地」であり、大人が集まって相談をしたり
地域の情報を共有したりする
現代のコミュニティセンターのような役割を兼ね備えていたのです
「番組」と聞くとテレビ番組を連想しますが、当時は「行政区画」を指す言葉でした
自治の単位:
今の町内会の集合体のようなもので
その単位ごとに学校を作ったため「番組小学校」と呼ばれました
望楼(ぼうろう)のある風景:
多くの学校には火の見櫓(やぐら)のような高い塔が建てられていました
これは、街を見守るという安全への意識と
新しい教育への希望を象徴していたと言われています
読み・書き・算盤(そろばん)といった基本はもちろんですが
新しい時代の到来に合わせて、当時の最新知識も積極的に教えられました
男女平等への一歩:
当時としては珍しく、男子だけでなく女子の教育にも力を入れ
地域のすべての子供に教育の機会を与えようとしました
5月21日は
明治という新しい時代が始まったばかりの混沌とした中で
京都の人々が「知識こそが子供たちの武器になる」と信じて
自分たちのポケットマネーを投じてまで学校を作った、情熱の日なんです
「教育」という言葉が今ほど一般的でなかった時代に
これほど大規模な仕組みを民間主導で作り上げたのは
世界的に見てもかなり珍しいケースだと言われています
皆さんは、子供の頃の「学校」にまつわる思い出で
今でも大切にしている教えや場所はありますか?
きゃり~は、地域の人が集まって子供を見守るという「番組小学校」の温かい自治の精神は
形を変えて今の日本の教育の根底に流れているような気がして
なんだか誇らしい気持ちになります🙂👍🙂
キャリカク前橋駅前オフィス
群馬県前橋市表町1-12-1セントラルビルB
(電話)027-289-4548
(FAX) 027-289-4548
(インスタ)
https://www.instagram.com/kyarikaku_maebashi?igsh=djA4YWlzMzdsMDI1
CONTACT


