朝起きた人もお昼に起きた人も夜起きた人も!!
おはこんばんは~😊
きゃり~です😻🙂
今日は何の日かな~

ペルー日本大使公邸占拠事件・人質救出(1997年)です
1996年12月から127日間にわたって続いた「ペルー日本大使公邸占拠事件」
その終結の日となった1997年4月22日の救出劇は
軍事作戦としても、国際政治のドラマとしても歴史に残る衝撃的なものでしたね🧐🧐
1996年12月17日、リマにある青木盛久大使の公邸で
天皇誕生日を祝うパーティーが開かれていました
左翼ゲリラ「トゥパク・アマル革命運動(MRTA)」が壁を爆破して乱入
当時の首相や外相、日本企業の駐在員など約600人を人質に取りました
最終的には、重要な政治家や日本企業の幹部ら72名が人質として残されました
4ヶ月もの間、交渉は平行線をたどりました
その裏でペルー政府(フジモリ政権)は、極秘に救出作戦を準備していました
鉱山の作業員を呼び寄せ、公邸の地下に向けて複数のトンネルを掘り進めました
掘削の音を悟られないよう、地上では大音量で軍歌を流し続け、
「演習」を装ってカモフラージュしていました
午後3時23分(現地時間)
作戦名**「チャビン・デ・ワンタル」**が発動されました
公邸1階の床が爆破され、トンネルから特殊部隊が一気に突入
ゲリラたちが1階でサッカーをしていた隙を突いた電撃作戦でした
激しい銃撃戦の末、14人のテロリスト全員を殺害
人質1名、軍兵士2名が犠牲となりましたが、残る71名の人質は無事に救出されました
突入後、防弾チョッキを着て公邸に現れたフジモリ大統領が
救出された人質とともに国歌を歌い、ガッツポーズを見せた映像は世界中に衝撃を与えました
テロに屈しない姿勢を見せたことで、当時の彼の支持率は爆発的に上昇しました
日本側(橋本龍太郎政権)は一貫して平和的解決を求めていたため、事後報告となった突入に対しては複雑な反応もありましたが、結果として多くの日本人の命が救われたことに安堵が広がりました
この作戦は完璧な成功とされましたが、後に「投降したゲリラを処刑したのではないか」という疑惑が浮上し、ペルー国内で長い間裁判が行われるなど、現在も議論が続く側面を持っています
日本とペルーの関係、そしてテロ対策のあり方を世界に問うた、戦後日本外交における最大級の危機でしたね🧐🧐
キャリカク前橋駅前オフィス
群馬県前橋市表町1-12-1セントラルビルB
(電話)027-289-4548
(FAX) 027-289-4548
(インスタ)
https://www.instagram.com/kyarikaku_maebashi?igsh=djA4YWlzMzdsMDI1
CONTACT


