朝起きた人もお昼に起きた人も夜起きた人も!!
おはこんばんは~😊
きゃり~です😻🙂
今日は何の日かな~

成田空港開港記念日です
「成田空港開港記念日」を深掘りすると、そこには単なる「新しい空港の完成」という言葉では片付けられない、戦後日本が経験した最も激しい対立と、そこからの対話の歴史が刻まれています。
成田空港(当時は新東京国際空港)が開港したのは1978年ですが
実は当初の予定は3月30日でした
開港直前の大事件:
開港を4日後に控えた3月26日、反対派のグループが空港内に突入し
管制塔を占拠して機器を破壊するという事件が起きました
これにより開港は急遽延期され、5月20日にようやく日の目を見ることになったのです
厳戒態勢でのスタート:
開港当日は、お祝いムードとは程遠いものでした
1万人以上の機動隊員が配備され、周囲は高い柵で囲われるという
異様な緊張感の中での開港式典となりました
成田空港の歴史を語る上で欠かせないのが「三里塚(さんりづか)闘争」と呼ばれる反対運動です
「寝耳に水」の閣議決定:
1966年、政府は地元住民への十分な説明がないまま、突然「成田に空港を作る」と決定しました
農民の誇り:
建設予定地には、戦後、必死に開墾してようやく豊かな農地にしたばかりの開拓農民たちが多く暮らしていました
「先祖代々の土地、汗して作った土を奪われる」という怒りが、激しい運動の根底にありました
国家と個人の衝突:
この対立は数十年続き、残念ながら警察官や住民に死者が出るほどの事態に発展しました
これが、後の日本の公共事業において「住民との対話」がいかに重要かを決定づける大きな教訓となったのです
長年の対立を経て、1990年代に入ると政府側が過去の強引な進め方を謝罪し
話し合いによる解決を模索する「シンポジウム」や「円卓会議」が開かれるようになりました
「成田の反省」:
現在では、成田空港と地域住民は共生を目指す関係へと変化しています
当時の激しい対立の歴史は「成田空港 空と大地の歴史館」などで
未来への教訓として展示されています
開港から26年経った2004年
空港公団は民営化され、名称も現在の「成田国際空港(NAA)」へと変わりました
世界屈指のハブ空港へ:
当初は滑走路1本でのスタートでしたが
現在は2本(さらに3本目の計画も進行中)になり
日本の空の玄関口として世界中の人や物を繋いでいます
5月20日は、空へと飛び立つ飛行機の華やかな影に
土地を守ろうとした人々の思いや、国家としての大きな反省が隠されている日なんですね
今はLCC専用の第3ターミナルなどもでき、
誰でも気軽に空の旅を楽しめるようになりましたが
その一歩一歩が重い歴史の上に成り立っていることを知ると
成田の滑走路の見え方も少し変わってくるかもしれません
皆さんは、成田空港を利用した際に「あ、ここは昔の歴史を感じるな」とか
何か印象に残ったことはありますか?
きゃり~は空港周辺に残る農地や木々を見るたびに
空の便利さと大地の豊かさが共存することの難しさと大切さを
静かに考えさせられてしまいます😁😁
キャリカク前橋駅前オフィス
群馬県前橋市表町1-12-1セントラルビルB
(電話)027-289-4548
(FAX) 027-289-4548
(インスタ)
https://www.instagram.com/kyarikaku_maebashi?igsh=djA4YWlzMzdsMDI1
CONTACT


