🏺 1923年2月16日:ツタンカーメン🩻の墓が開封される
■ 1. 発掘したのはハワード・カーター
イギリスの考古学者ハワード・カーターが、
資金提供者カーナヴォン卿とともに発掘を進めていた。
1922年11月に墓の入口を発見し、
1923年2月16日に王の石棺が正式に開封された。
■ 2. ほぼ完全な状態で残っていた奇跡の墓
ツタンカーメンの墓は、
盗掘が横行していた王家の谷の中で、
ほぼ唯一“ほぼ無傷”で残っていた王墓。
中には、
– 黄金のマスク
– 宝飾品
– 家具
– 武具
– 儀式用の品々
など、膨大な副葬品が詰まっていた。
これが世界を驚かせた。
■ 3. 「ツタンカーメンの呪い」伝説の始まり
開封後、資金提供者のカーナヴォン卿が急死したことで、
メディアがセンセーショナルに煽り、
**「王の呪い」**という都市伝説が世界中に広まった。
実際には科学的根拠はないけれど、
この“物語性”がツタンカーメン人気を決定づけた
呪いなんてあるとは思えないなぁ🤔
🏺 カーナヴォン卿の死因:医学的には“血中毒(敗血症)”
カーナヴォン卿は 1923年4月5日、エジプト・カイロで死亡。
死因は 血中毒(敗血症) と報じられている。
これは、
– 顔にできた小さな傷
– そこから細菌感染
– 免疫力低下と合併症
といった流れで悪化したとされる。
🦠 なぜ感染が重症化したのか?(背景)
■ 1. もともと体が弱っていた
カーナヴォン卿は 1901年の自動車事故で大怪我をしており、
その後は体調が不安定で、毎年エジプトで療養していた。
■ 2. エジプトの気候と衛生環境
当時のエジプトは衛生環境が十分ではなく、
感染症が重症化しやすい状況だった。
■ 3. 傷口からの細菌感染
新聞報道では、
「顔の蚊に刺された傷を剃刀で切ってしまい、そこから感染した」
という説が広く伝えられた。
👻 “呪い”説が広まった理由
– 墓の開封から間もないタイミング
– 資金提供者という象徴的な人物の死
– メディアがセンセーショナルに報道
– コナン・ドイル(シャーロック・ホームズの作者)が
「古代の守護霊の仕業かもしれない」とコメント
こうした要素が重なり、
「ツタンカーメンの呪い」が世界中に広まった
ミイラなんてものが何千年もの間あった部屋です衛生環境やばそうですよね😭
午後は副葬品について語ります😍
これにてご免😆

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