サブスクで第4話が見れたので久しぶりの豊臣兄弟から😆
歴史の教科書では戦国時代は応仁の乱から始まったと書かれてますが
私はそれに全く納得してなくて桶狭間から始まったと思っています🤔
応仁の乱は“壊れ始めた音”にすぎない
戦国の始まりは、桶狭間で世界のルールが書き換わった瞬間だ
桶狭間は奇襲ではない
あれは、中世の戦いのルールが壊れ、
戦国の速度が始まった瞬間だ
ではなぜ「奇襲」と誤解されてきたのか
理由はシンプルで、
“弱者が強者を倒した物語”として語りやすいから。
– 信長=少数
– 義元=大軍
– → 奇跡の奇襲勝利!
という“英雄譚”としての構図が作られた
しかし実際は、
– 情報戦
– 地形戦
– 意思決定の速度
– 今川軍の配置ミス
これらが重なった結果
今川義元は無能ではない😆
むしろ、戦国大名としてはトップクラスの「有能」な人物だった
ただし、桶狭間という一点だけが“劇的すぎた”ために、後世のイメージが歪んだというのが実態😭
尾張は兵農分離ではなかった。
だが、貫高制という“数字の軍役”を持っていた。
その制度が、桶狭間で信長の速度と統制を支えた。
兵農分離(へいのうぶんり)とは
● 基本概念
– 武士=戦う・行政を担う
– 農民=耕す・年貢を納める
– この二つの役割を“制度として分ける”こと
● 中世(兵農未分離)の状態
– 農民が戦の時だけ武器を持つ
– 武士も農業をする
– 軍役が曖昧で、動員も不安定
– 一揆が頻発しやすい構造
● 兵農分離が必要になった理由
– 戦争が大規模化し、素人の農民兵では対応できなくなった
– 常備軍が必要になった
– 農民が武装すると一揆が起きる
– 経済(年貢)と軍事(武士)を分けた方が効率的
兵農分離のメリットは、軍事の強化だけではない。
戦う者と耕す者を分けることで、
速度、統制、経済、都市、そして国家の形そのものが変わる
桶狭間で勝敗を分けたのは、兵の数ではない。
尾張がすでに“兵農分離の萌芽”を持っていたことだ。
速度、統制、質。
中世の曖昧さを捨てた軍だけが、あの谷間で生き残れた😉
豊臣兄弟に戻ります😆
戦のさなか親の敵として付け狙った城戸小左衛門をどさくさにまぎれ仇を討ってしまおうと弓を引き絞る藤吉郎に小一郎は「今は駄目じゃ!」とストップをかけます😭
城戸は強い今殺しては自分たちも戦に勝てず死んでしまう故に😭
直後流れ矢で城戸はあっさり死んでしまう🤣
「なんでじゃ!見逃してやったのにたーけが‼」
戦争の理不尽さと自らの手で仇が取れなかったやるせなさですね😨
ともかく生き残った豊臣兄弟🤣
論功行賞で城戸の討った首がどさくさで藤吉郎の手柄になりかけますが
心の中で小一郎「駄目じゃ、兄者その首をもろうたらわしら城戸と同じになってしまうぞ」😣
兄も気持ちは同じだったようで深々と土下座し「恐れながらその首はわしがうったものではございません城戸様が討った首でたまたま近くにわしがいただけでございます」と😭
ふうんと興味もなさそうに信長(たまたま近くにいたのがラッキーなんだから)「もらっとけばええのに」と😄
でも信長さんこの兄弟の事はお気に入りのようで特に小一郎🤔
妹のお市に桶狭間で勝つヒントを小一郎がくれたとなんか遠回しに言ってました🤣
これが本音だなぁと思うのは市は信長と母を同じくする実妹であること
桶狭間で時代が動き、
豊臣兄弟はその風の中で生きた。
今日の第4話は、その“始まりの匂い”がした🤔
これにてご免😶🌫️

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