こんにちは、キャリカク一宮の利用者のSです。
今回のお話は、幼き頃に抱いた私の将来の夢についてのお話をしたいと思います。皆様も将来になりたかった夢は覚えていますか?
・私の夢
私の幼きころに抱いた夢は、プロのアイスホッケー選手になる事でした‼「アイスホッケー⁉」って思いますよね?日本ではマイナーなスポーツですが、私は小学生から始めてアイスホッケーの日々を過ごすことになりました。
・プロのアイスホッケー選手になる為に
何故にスケートの中でもアイスホッケーを選んだのか。スケートには「フィギュアスケート」「スピードスケート」の種目がありますが、営業時間が終わってからアイスホッケーチームの貸切練習時間が始まり、私は外から練習を見ていました。迫力も凄くて、めちゃくちゃカッコよくて見えて自分もやりたいっと思い立ったのが始まりでした‼
・ハードな基礎練習
アイスホッケーの防具を装備をすると、かなり重たくて自由も効かずに全力でダッシュをしたり、急ブレーキをしたりと基礎的な練習はとてもハードでした💦
自宅でもスクワットを一日に250回を4セットを繰り返し下半身を鍛えることも日課になりました。
私が高校になった時に、地元のスケート場が閉鎖になり、隣りの岐阜県でアイスホッケークラブチームのジュニア部に入ることになりました。家から自転車通い往復やく50キロでしたが、筋トレも兼ねて週に3回の練習に通っていました。
スケート場でのバイトも誘われて、バイトも土日に入ることになり特典でスケート代は無料になり、あとアイスホッケーの防具などもスケート場に置いていけるのもメリットでした(^^♪
岐阜県のスケート場では土曜日の夜になると、名古屋のフィギュアスケートの方々が練習にきて、今では有名になった姉妹達も夜遅くまで練習をしていました。
・初めての県大会
私はハードな練習を重ねて、私が高校2年生の時に岐阜県の県大会のスタメンに選ばれた時はビックリ致しました⁉ジュニアなのにシニア部の試合に出れるとは、思ってもいなかったです⁉
私は、スピードと持久力には自信がありました。ポジションも私が得意とするスピードを活かせたたポジションで、私の役割を果たす事によりチームに貢献できて、県大会の優勝を果たしました‼
その後にも県外の遠征の試合などにも参加を致しました。私は夢のプロのアイスホッケー選手に少しだけ近づいてきたのかな?っと思っていた時に、名古屋のチームとの練習試合があり名古屋の大学生との練習試合はよく行っていましたが、今回はシニアの部との練習試合で、 実業団の3軍の選手が一人相手チームにいることでした。
・初めての挫折感
私はワクワクして練習試合に参加をしましたが、試合が始まればまるで子供扱いされて結果は惨敗でした…。
たった一人のプロの選手に対して何も通用できなかったので、プロの1軍選手なんて…かなりの次元が違い天と地の差を実感いたしました(;’∀’)💦
いつかは自分も実業団に入れるように、頑張って練習に励みまいしたが、私が20歳の時にバイクでの交通事故で、入院をして3回のオペをしました、左腕を骨折をして腕の中にプレートを入れることになり、医師からは3年はアイスホッケーは禁止と告げられて、3年もブランクがあると選手生命は終わったと思ってしまいました…
・夢と現実的な将来
プロのアイスホッケー選手の夢は諦める事になりました。色んな葛藤もありましたが。交通事故でのリハビリは辛いし、20歳で就職はどうするか?3年間もアイスホッケーから離れてから、実業団になんか入れるほど甘い世界ではないと思い小学生の頃の夢は諦めてしまいました…。
でも、私は貴重な経験が出来たと思っています、県大会で優勝した事やプロの選手と練習試合が出来た事に、何よりも私は身体も決して大きくないのに、体格差もあっても自分でも任されるポジションがあって試合に出れたことは忘れることはありません。
・アイスホッケーで得たこと
社会人になり思った事は仕事を任されて、責任感の大切さはアイスホッケーをやっていた時と、似ている所に気付いた事があります。自分の仕事の役割を責任を持って行うこと、一つ一つの仕事でも役割分担があり、誰かが欠けたら負担が誰かにかかること思いました。チームワークの大切さは、スポーツと同様に仕事にも共通点があると感じました。
幼き頃の夢は叶わなかったのですが、沢山のことを学びました、体格差があっても自分でも出来るポジションを頑張って掴んだこと。仕事も今の自分が出来る事を、責任感と目標を持って努めたいと思います。頑張ればなりたい自分になれると思います。次の夢に向かい走り続けたいと思います(^_-)-☆

CONTACT


