こんにちは、あるいはこんばんは。Kinです。
今回は、「もしもスマホの無い世界だったら」というお題になりました。
このお題を見た時に、
世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
という、在原業平の歌が思い浮かびました。
「この世の中に、いっそ桜なんてものがなかったなら、春を心穏やかに過ごせるだろうに」
という、意味の歌なんですが、桜をスマホに置き換えるとまさに現代人の気持ちになるのではないかと思ってしまいました。
今回は、スマホではなく、携帯電話そのものが無い設定でお話を進めていきたいと思います。
連絡は固定電話やPCの電子メールが主流になる。
これって、ひと昔前の日本の会社における一般的な連絡手段であり、おじさんが社会に出たころにはすたれ始めていた手段だったんですが、おそらくこれらが小型化されたり、進化系のアイテムが開発されていると思います。
通信速度が早くなったり文章の作成が今日のAIのように、要旨を伝えると適切な文面が表示されるようになったりしているのではないでしょうか?
電話ボックスの電話にPCとの接続機能が付加される
今日になって、そもそも電話ボックスを利用したことはおろか、見たこともない人間のなんと多いことか。
おじさんが、子供のころはあちこちにあった電話ボックスはほぼ完全に姿を消しました。家ですきに電話をかけられなかった、子供のころのおじさんは電話ボックスを探しては、思いを寄せていた彼女の家に、「相手方のご両親が出るのではないか」と、恐る恐る電話を掛けたものです。
今日では、携帯電話そのものやSNSで連絡を取り合うことが可能ですが、携帯のない世の中では、おそらく持ち歩き型の小型端末(通話機能なし)が開発されていて、簡易なデータの送受信は可能になっており、ある程度容量のあるデータの送受信はボックス内の電話で
やり取りするようになっているのではないでしょうか?
スマホがないと、人間関係そのものが少し違ったものになるのではないか?
今日では、
など、直接会うことなくても一定のコミュニケーションを取ることが可能になっておりますが、携帯のない世の中では「連絡がつかない」ことが普通になると思います。
待ち合わせで、「駅前で午後3時」と決めたら、3時にそこへ行く。
相手が来なければ、「何かあったのかな?」と思いながら待つ。
そして30分、1時間待っても来なければ帰る。
今なら、「ごめん、電車遅れてる!」の一言で済むことが、昔はそうはいかなかった物です。
こう考えてみると、スマホのない世界というのは、単純に不便な世界というだけではないのかもしれません。
今の私たちからすれば、とても不便なことばかりです。
でも、その不便さがあったからこそ、人を待つ時間があり、相手を信じる時間があり、連絡が来るまで想像する時間もあったのではないでしょうか。
スマホが普及したことで、私たちはいつでも誰かとつながることができるようになりました。その一方で、「つながっていない時間」を過ごすことが、ずいぶん苦手になったようにも思います。
便利になったことで、確かに生活は楽になりました。しかし、便利になったことと、心が穏やかになったことは、必ずしも同じではないのかもしれません。
便利だから手放せない。でも、便利だからこそ心が落ち着かない。
そう考えると、
世の中に たえてスマホの なかりせば 我の心は のどけからまし
なんて歌いたくなるおじさんなのであります。
最後になぞかけを一つ
「スマホ」とかけまして「酒」とときます
その心は
「その心は、どちらも適度なら便利ですが、付き合いすぎると身を滅ぼします。」
※カクヨムで小説投稿中
https://kakuyomu.jp/works/2912051601257786743
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