今(令和8年8月現在)私はキャリカク藤が丘事務所という所謂B型就労継続支援事業所に通所している。一般の健常者で利用しようという人は稀だろうから、勿論通所する理由はある。またブログを書くこと自体は初めてなので、ここでは何故私が通所するようになったのかを振り返ってみたいと思う。
こういう書き方も棘があるのかもしれないが、私は生まれながらの障害者ではない。途中から障害者手帳を取得する状況下になったと言うこともできるだろう。小中高は健常者として過ごし、高校が予備校みたいなカリキュラムの進学校だったので大学へ行った。ただ東京の大学は家賃が高いとの理由で親に断られたし、また数学が苦手だったので国立大学には入れずとある地方の私立大での下宿生活だった。要領は良かったみたいで授業も出ずに卒業の単位だけは取得できたので、卒業した。その後の就職はまたこの地方に戻った。そして就職して5~6年後に精神疾患にかかった。仕事の内容と人間関係に疲弊した結果だった。案外あっさりとドクターにはこれからの生活には薬が欠かせなくなる事(寛解しないこと)は親には告げられた。私自身が病名を知ることはその何年か後であった。
就職していた事務所は休職の後退職した。それでも(世間的には病人であろうが)家にずっと籠っているのは親が嫌がった。それもあり外へ出ることにした。いくら正確な病名が告げられてないにせよ自覚はあったので当時名駅近くに合った障害者のためのセンターへ行き障害者の為の施設名簿をもらい、自宅からあまり近くない作業所に目星をつけ面接を受けに行った。偶々私の過去通っていた場所と接点のある人物がそこの施設長で、縁を感じ通所することになった。
そこではいい意味でも悪い意味でもザ軽作業という感じの作業だった。渡されたピザ屋のチラシを際限なく折り続けたり、ネジを5本ずつ袋に入れる作業というのもあった。それでも今にして思えばその待遇でも私は満足していた。この文章を書いている今よりも不平不満は少なかったし、お金遣いも荒くなかった。改めて人間は今ある環境そのものではなくそれをどうとらえるかにより左右される生き物なのだと実感した。
とりあえず今回は長くなってしまったので一旦はここでひと段落して、またキャリカク藤が丘事務所に辿り着くまで、また今ここで抱えている葛藤などについて書ければいいと思う。
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