【日航機123便事故】8月12日に考える「運命の悪戯」と消えない数々の疑問
毎年8月12日が訪れるたびに、多くの人々が静かに祈りを捧げる出来事があります。1985年に発生した「日本航空123便墜落事故」です。乗客乗員524名のうち520名が命を落とすという、単独機としては史上最悪の惨事となったこの事故は、発生から40年近くが経過した現在もなお、私たちの心に深い問いを投げかけています。
人の生き死にを分けた「直前の選択」
お盆の帰省ラッシュという時期も相まって、123便にまつわるエピソードには、言葉に尽きない「運命の不可思議さ」があふれています。
満席だった機体にキャンセル待ちで直前に搭乗できたことで事故に遭遇してしまった方がいた一方で、予定が早く終わり1本前の便に変更して難を逃れたタレントの明石家さんまさんや、家族の反対で新幹線に変更した逸見政孝さんご一家のように、ほんのわずかな予定の変化で命拾いをした人々もいました。
こうした偶然の重なりを見ると、人間を超えた存在が「それがあなたの寿命なのです」と告げているかのような理不尽さを感じざるを得ません。しかし、この「運命」という言葉を、安全管理責任を負うべき当事者企業や人間が自らの免責のために使うことは許されないでしょう。
公式説明への疑問と「米軍関与説」
事故の公式な原因は「ボーイング社による圧力隔壁の不適切な修理」と結論づけられています。
しかし、この公的見解に対しては長年多くの疑問や異論が唱えられてきました。
急減圧の疑念: 巨大な隔壁が破綻した際に生じるはずの激しい減圧現象(突風や急速な意識障害)が、機内の様子や生存者の証言を見る限り限定的だったのではないかという点。
垂直尾翼の未回収: 事故の引き金となった相模湾上空で脱落した垂直尾翼の主要部分が海底に残されたまま回収されなかった点。
こうした疑問から、相模湾で訓練中だった米軍機や標的機(ドローン)との接触、あるいはその事実を日米政府が隠蔽したのではないかという「米軍関与説」や陰謀論も生まれました。初期対応において情報が混乱し、墜落現場の特定や救助が大幅に遅れた政府・防衛当局への不信感が、こうした説を補強する土壌となったのです。
科学的検証では圧力隔壁の金属疲労痕が明確に確認されており、異物衝突の物理的証拠は見つかっていません。しかし、不透明な初期対応と重要証拠の未回収が残した不信感は、今もなお人々の中で消え去ってはいないのです。
8月12日は、奪われた尊い人命を悼むとともに、生命の脆さと安全への重ACい責任を改めて噛み締める日であり続けています。
米軍関与説は陰謀論かもしれないけど、この時の日本航空は労組問題でごたついていたのは確かだ
それについては山崎豊子氏著「沈まぬ太陽」とそのドラマ版にくわしい、ぜひ一読してみてほしい
渡辺謙さんが演じる主人公が渋い演技で良いんですよ(ドラマ版)

CONTACT


