今回もお城についてお話出来たらなと思います。
さて今回は姫路城について話します。
姫路城は別名白鷺城とも言われています。姫路城は1931年(昭和6年)に国宝になりました。
その後に文化財保護法制定に伴い、改めて国宝(現在の法律での国宝)に指定されました。他にも大天守や小天守、渡櫓など計8棟が国宝に指定されました。それから1993年(平成5年) に奈良県の法隆寺、とともに12月に日本で初ユネスコ世界文化遺産に登録されました。
日本でもここまでの綺麗なお城が残っているのはとてもすごいと思います。
姫路城は最初から今皆さんが知ってる姿じゃないんです。
姫路城の始まりは1333年に赤松則村(あかまつ のりむら)が築いた姫山の城と言うお城でした。そこからいつ名前が変わったかは分かりませんが現在の姫路城となったそうです。
それから時代に合わせて何度かの工事が行われました。そこから1601年ー1609年に現在の五層の大天守などが完成し 、現在のお城が完成しました。
それから約417年もの日が経っているのです。ちなみに1333年でだと約693年になるそうです。この時代に作る職人さんはすごいですね。なんといっても攻められにくい設計やいろんな仕掛けが沢山あります。
日本のお城はすごいですよね。ここまで長い間、綺麗にしかも美しく残っているのは約690年もの間大切に守られたからだと思います。
ここからは姫路城に入った城主を少し紹介したいと思います。
姫山の城の初代城主は赤松則村(あかまつ のりむら)です。
今の姫路城が立つ693年前のお城で当時は姫山の城と言われていました。
そこから時は進み200年後、皆さんも一度は聞いたことのある黒田官兵衛は黒田職隆(くろだ もとなか/もとたか)から城主になりました。
この時黒田家の功績は、まず、黒田官兵衛は豊臣軍として中国攻めや九州平定などの活躍でした。
他には、黒田長政は関ヶ原の戦いで徳川家康のもと大活躍した武将です。のちに功績を上げて、九州に現在の福岡県に行き福岡城を立てたのです。
当時は博多という地名でした.。その後、長政が福岡と名前を変えました。
次に城主としては短いですが羽柴秀吉のちの(豊臣秀吉)です。
羽柴秀吉は、1580年に黒田官兵衛から姫路城を譲り受けて1581年に三層の天守を完成させました。1582年には本能寺の変があり、羽柴は毛利家との戦の最中でしたが、戦を取りやめ織田信長を打った光秀を討伐するため、中国大返しをしました。羽柴秀吉は姫路城に約3年しかいなかったのですが、弟の羽柴秀長が新たな城主となりました。他にもいろんな人が城主になりましたが、ここに全部書くとあまりにも長くなるので後2人だけにしたいと思います。
1600年に関ヶ原の戦いの後に池田輝政(いけだ てるまさ)が新しく城主になりました。
この武将は現在の姫路城を白くした人でもあります。この頃から白鷺城(しらさぎじょう)と言われました。ちなみに、正式名称は「姫路城」で、「白鷺城」は美称・別名です。
最後に 江戸時代の武将を紹介したいと思います、本多忠政(ほんだ ただまさ)です。
この人は、1617年に城主になり約14年間姫路城を守ってきました。のちに西の丸の整備をしました西の丸は妻となった千姫のためだと言われています。現在も西の丸が残っています、まだまだ凄い武将がいますがここまでにしたいと思います。
これだけ長い間姫路城が立っているのは、いろんな人が整備・修繕を絶やさなかったため今も素晴らしい姫路城が残っているのだと思います。自分は姫路城に4回ほど行きましたが、何度行っても綺麗だなと思いますし、やっぱりあきないですね。
行けば新たなる発見も出来るのでまた行きたいなと思います。
ここであまり知られていないこと一つご紹介します。
姫路城は1つに見えて実は4つなんです。大天守が中心にあり、東小天守、乾小天守、西小天守の4つの天守です。
この4つのが渡櫓 (わたりやぐら)でつながった連立式天守になってます。乾小天守の「乾」という名前は、方角の乾(北西)から来ています。
もし姫路城に行く機会がありましたらこの素晴らしい姫路城を堪能してください。
ちなみに姫路城はサッと見るのに約1時間半で、しっかり見て回るなら約3時間ぐらいです。
なので、兵庫県姫路市に行く機会があれば是非とも行ってみてください。


👆3年前に撮った写真です
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