こんにちは利用者のKです。
私には、今でも忘れられない出来事がいくつかあります。
「あれが、最期の挨拶だったのかもしれない。」
そう思える出来事です。
長い間連絡を取っていなかった人から、ある日突然電話がかかってきたり、「今度会おうよ」と声をかけてもらったり、いつもはぶっきらぼうな人が、驚くほど優しい笑顔を見せてくれたり。
そのときは何気ない出来事として受け止めていました。
けれど、しばらくして訃報が届き・・・
「あの人が亡くなりました。」という連絡が届くことがありました。
その知らせを聞いた瞬間、あの日の笑顔や言葉が胸によみがえり、「あれは私に会いに来てくれたのかもしれない」と、静かに涙があふれました。
こうした話は、人だけではありません。
犬や猫と暮らしている方の中にも、きっと思い当たる方がいらっしゃるのではないでしょうか。
旅立つ少し前から、いつも以上に甘えてきたり、家族一人ひとりのそばへ行って静かに寄り添ったり。
「今日はずいぶん甘えん坊だね。」
そう笑っていた数日後、穏やかに旅立っていったというお話を、私は何度も耳にしてきました。
もちろん、それが偶然なのか、本当に何かを感じていたのかは分かりません。
「それは、その子が旅立ちを感じていたからなのでしょうか。それとも、命だけが知っている優しい時間だったのでしょうか。」
私は、そこには命だけが知っている、優しい瞬間があるような気がしてならないのです。
人は人生の終わりが近づくと、本当に大切な人の顔を思い浮かべるのではないでしょうか。
「ありがとう。」
「あの時はごめんね。」
「あなたに出会えてよかった。」
言葉にならなくても、その想いだけは届けたい。
そんな願いが、笑顔になったり、一本の電話になったり、「今度遊びに行こう」という何気ない一言になったりするのかもしれません。
私は、その瞬間こそが、「いのちのきらめき」なのだと思っています。
残念ながら、人は必ず死を迎える日が来ます。
だからこそ、その終わりが近づいたとき、
人の心は不思議なくらい素直になるものだと思うのです。
肩書きも、意地も、見栄もなくなり、「大切だった人」に心が向かう。
その姿は、悲しいというより、とても美しいものです。
私たちは、誰も自分の「最期の挨拶」がいつになるのかを知りません。
だからこそ、
いつか人生の終わりを迎えるその日、「伝えられなかった」という後悔よりも、「ちゃんと伝えられた」という温かな思い出を胸に旅立てたら、それはきっと幸せなことなのでしょう。
「生きているうちにあなたに伝えたい・・」
「ありがとう」
「出会えて嬉しかった」
「本当は「ごめんね」と、ずっと謝りたかった…」
突然「急にあの人どうしたのかしら?まるで人が変わったように・・・」という瞬間・・・
それが、人が「人生で最大にして最初で最後の勇気を振り絞った瞬間」なのかもしれません。

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