こんにちは、あるいはこんばんは。Kinです。👋🌙
今回のお題を見たときに「哲学的なテーマ」だなと、思いました。🧠📚
哲人ルネ・デカルトは「我思うゆえにわれあり」と喝破しておりました。💭✨
デカルトは、哲学を考えるにあたって、絶対的な物を基盤として求めました。
人間は惑わされる物として自分の経験や感覚は誤りを含んでいると考えましたが、唯一「あらゆる事を疑い続ける自分こそ、間違いなく存在しているもの」と考えたのです。🤔
その一方で日本仏教において求められるのは「無我の境地」になります。🧘♂️
無我の境地とは、全ての存在は因果関係によって生じ、常に変化し続ける為、固定される事はなく、固定された「我」は存在せず、「我は一時的な事象の集合体」という考えになります。🌏
洋の東西や思想をもとめる者に応じて「我の存在」に関しては出発点が異なり、終着点も全く違う物になります。🌍📖
おじさんは、デカルトやカント等を読み漁り、座禅や瞑想、仏教の追求と前述の「我」の追求をどちらもしてきましたが、どちらかというとデカルト説を押しており、「人間は思考の集合体であり、経験や感覚を自分の中で切り離すことが難しいからこそ、考え、志向する生物である。たとえ四肢を欠損し、身体が動かなくても、考え続ける限り人間としての自分は存在する」と考えています。🧠✨
最後に謎かけを一つ 🎭
「哲学」 📚
と かけまして
「長い散歩」と解きます。🚶
その心は
みちのり(過程)が大事でしょう 🚶♂️✨
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