こんにちは!キャリカク浜松駅前オフィスです!
今回は利用者さんに「京都観光 歴史について」を書いていただきました!
ぜひご覧ください!☺
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前述に記載した通り僕は歴史が好きです。好きな分野は鎌倉時代、戦国時代、幕末から現代にかけて自分の中では一番好きな分野であるこの時代を好きになったのは三谷幸喜さん脚本の大河ドラマ3本が絡んでくるのでその話はまたいづれどこかでしたいと思います。平安京建立から明治維新に至るまでの日本の歴史においての中枢ともいえる場所であった。中でも僕は幕末の時代が一番好きで黒船来航から明治維新に至るまでの時期を示すのである。中でもやはり動乱の幕末を疾走のごとく駆け抜け京都で大活躍した新選組が一番好きである。なぜなら彼らの生き様は見るものを魅了しかっこいいとしか言いようがないのだ。活動時期は短いものであるが池田屋事件を筆頭に様々な活動をしている。1863年(文久3年)近藤勇らを含めた試衛館の土方歳三、山南敬助、沖田総司、藤堂平助、井上源三郎、永倉新八、原田左之助らが浪士組として京都へ上る。京都へ上ったものの清河八郎は尊王攘夷の志を持っていたため決裂し会津藩預かりの身となり壬生浪士組となった。壬生浪士組は近藤派と芹沢派に分かれていた。近藤派は何も問題なく職務を遂行していたが水戸派の芹沢鴨筆頭局長は大暴れ等を繰り返していた。そんなこともあり局中法度を用い粛清する。それを終え会津藩から新選組という名前を頂く。1864年池田屋事件を機に名を上げることとなる。隊士は身分を問わず募集をし、これは近藤が多摩の百姓出身であることも起因している。局中法度を設けた理由は「武士よりも武士らしく」近藤の悲願を体現したものである。そんな局中法度で粛清されたのは代表例として総長山南だろう伊東甲子太郎の入隊で居場所を失った山南は脱走を図るが途中で沖田に見つかり切腹となる。幹部でさえも法度に背けば・・・粛清という非常に厳しいものであった。そこから大政奉還以降は新政府軍に押され函館へと追いやられるのだがその話はまたいずれどこかでしたいと思います。なぜこんなにも新選組にハマったのかといえば前述にも記載した。三谷幸喜さんが脚本をされた大河ドラマの「新選組!」が大きく影響していて中学の修学旅行で京都に訪れた際に魅力にどっぷり浸かってしまったのだった。あのだんだら模様の羽織と誠の旗が一番かっこよく見えたのだった。だからこそ京都の歴史観光も楽しみの一つといえるだろう。
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