🎼第九の演奏会に行きました🎵
市民合唱団がプロの演奏会家達と共演する演奏会でした🎻有り難いことに、ここ何年もチケットをいただいての鑑賞の私🧔♀️今年は、大阪万博開幕初日で、指揮 佐渡裕さんによる”1万人の第九 EXPO2025”が実現🎉この第九🎶の合唱に参加した方もいたそうで、かなりの第九🎶好きが、参加している演奏会だったようです😊
第九🎶とは、交響曲第9番 ニ短調 作品125で、ベートーヴェンが、1824年に作曲した独唱と合唱を伴う交響曲。
日本では「第九」🎶といえば年末をイメージさせるものですが、国外ではどうでしょうか。
もともと「年末に第九を」🎶というアイデアが芽吹いたのは1918年のこと。第一次世界大戦が終わって平和を願う声が高まった頃にドイツの管弦楽団🎻が、毎年の大晦日に「第九」🎶を演奏し続けてきました。日本では第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)、日本交響楽団🎻(現在のNHK交響楽団)が、12月に3日連続の🎼「第九コンサート」🎵を行って絶賛されました。
この時、徹子の部屋でおなじみの、黒柳徹子さんの父親もおおきく関わっていたのです👩🦰黒柳さんの父・黒柳守綱さん当時、「日本交響楽団(NHK交響楽団)🎻のコンサートマスター。“暮れに第九をやれば、たくさんお金も入ってくる”ということで、父たちは第九🎶をやることに決めました」と黒柳さんは、明かしています。
また、黒柳さんの誕生👶とも大きな関係があるというのです。
「本当に運命的なことだと思うんですけど、母👩が音楽学校🎹の生徒で、(第九を)🎶歌いに来たんです。母👩はきれいでしたから、父👨はすぐにいいって思ったらしくて、父と母は結婚⛪したという」。また、第九🎶とともに育ったともいい、「母はしょっちゅ私をあやしながら歌っていた、子守唄だったんです」と、話しています。
まだ戦後の混乱期、オーケストラ🎻にとっては安心して新年を迎えるための臨時収入になりました。
さらには「うたごえ運動」を背景として合唱が盛んになり、アマチュア合唱団が「第九」🎶を歌い始めます。コンサートには合唱団員の家族や友人たちが駆けつけたためチケットが売り切れることもしばしば。こうした状況が功を奏し、年末の「第九」🎶が完全に定着したと言われています。
アマチュアの合唱団や、吹奏楽団の指揮者だった私の父は、子どもだった私を、第九🎶演奏会に何度も、連れて行ったのを思い出すこの年末です。あの頃は、第九🎶あまり好きじゃなかったな…
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