こんにちは🍂
涼しさと引き換えに朝布団から出るのが億劫になってきた私ですが、秋冬は夏よりも過ごしやすく趣味に没頭できるので大変喜ばしい季節です°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°
十年ほど前、細々と楽しんでいたスノーボードを、今年の年明けに家族と一緒に再開したこともあり、雪が降るのが待ち遠しい日々です☃️
さて、前回私は『平家物語』についてお話ししましたが、今回は平家物語にまつわる刀剣⚔️のお話をさせて頂きます。
平家物語は巻第一から巻第十二まであるお話で、前回はその一説を解説させて頂きましたが、その中でも『剣の巻』などで刀剣について語られる場面があります。
今回は平家物語において源氏に由来のある二振りの刀を紹介したいと思います!
まず一振り目は
源氏の重宝 髭切
髭切の名前の由来は、罪人を斬首する際に髭までスパッと斬れるほどの切れ味から名付けられたとされています。
『平家物語』の剣の巻では、八幡大菩薩の加護を得て源満仲が作らせた最高の鉄を鍛えた二振りのうちの一振りでした。
髭切は、1185年の源平合戦での勝利と鎌倉幕府の成立へと導いた名刀です。
この刀は、持ち主が変わるたびに名前も度々変わっていた刀で、異名や逸話がたくさん残っています。
【髭切】試し切りで罪人を斬首した際、髭すらも一瞬で切り落とすほどの非常に優れた切れ味であったため
【髭切から鬼切】
京の一条戻橋で襲ってきた鬼の手を切り落としたことで、「髭切」から「鬼切」へと名を変えます。
【獅子ノ子】
鬼切は頼光から、源頼義、その長男、孫を経て代々伝わります。為義の代には、刀が夜中に獅子のように吠えたことから「獅子ノ子」と名を変えます。
【友切】
為義が揃いの一組であった吠丸(膝丸)婿引きとして譲ってしまった代わりに、大刀として獅子ノ子そっくりの小烏という刀を作ったのだが、小烏は獅子ノ子より2分ほど長かったのだが、あるとき並べて掛けておいた小烏の茎が2分に切られていたことから、獅子ノ子の仕業と考え名を「友切」へと名を変え源義朝へ譲られる。
【再び髭切へ】
義朝は源氏の重代の刀である友切をもってしても敗戦続きなのを八幡大菩薩に嘆くと「それは友切という名のせいである。名を戻せば剣の力も戻る」と示現があり、「髭切」へ名を改めたところ、源平合戦で源氏を勝利に導きました。
次は、そんな髭切の弟のような存在の刀
源氏の重宝 膝丸
膝丸の名前の由来は、罪人を斬首する際に膝までスパッと斬れるほどの切れ味から名付けられたとされています。
『平家物語』の剣の巻では、八幡大菩薩の加護を得て源満仲が髭切と揃いで作らせた最高の鉄を鍛えた二振りのうちの一振りでした。
膝丸もまた髭切と同じで、源氏の歴史に深くかかわっている刀の一振りで、髭切同様多くの改名がされている刀です。
【膝丸】満仲が作らせた刀で、試し斬りで相手の膝を薙ぎ斬ったことから「膝丸」と名付けられました。
【膝丸から蜘蛛切】源頼光が高熱にうなされている際、枕元に現れた土蜘蛛を膝丸で退治した。この事件を境に、膝丸は「蜘蛛切」と改められました。
【蜘蛛切から吠丸】源為義の代に、髭切と膝丸が夜な夜な「吠える」ような声を出したことから、膝丸は「吠丸」と名付けられました。
【吠丸から薄緑】「吠丸」と名を変えた膝丸は、源為義から娘婿の熊野別当に贈られ、熊野権現に奉納された。その刀を源義経が譲り受けた際、春の山々を分けて出てきたことにちなみ「薄緑」と名付けられたとされます。
一度は別々になってしまった髭切と膝丸ですが、後に曽我兄弟の仇討ちを経て源頼朝の元に戻り、一具に戻ったというお話が剣の巻で語られています。
現在、髭切は京都の北野天満宮が所蔵。
膝丸(薄緑)は京都の大覚寺に所蔵されています。
また、箱根神社に所蔵されている薄緑丸。名 長円の薄緑(個人蔵)と、膝丸が薄緑へと名を変えるきっかけになったところで詳しい所在が分からなくなったことから膝丸本体がどれが本体か正確にわかっていないことからとされています。
どの膝丸も作者が明確になっていなかったり、大きさが違ったりと様々です。
私は去年の秋、とあるイベントで北野天満宮の髭切と、大覚寺の膝丸を拝見してきました。
その時に初めて刀というものを見たのですが、やっぱり迫力というか、威圧感というか、雰囲気が、すごかったです。
圧倒されすぎて、言葉にならないことを察してください(´・ω・`)
北野天満宮では定期的に宝物殿の特別公開が行われているので、興味が少しでも沸いた方は是非立ち寄ってみてください✨
以上、今回は平家物語にまつわる刀剣⚔️のお話でした!
いやはや、こんなに名前を変えられては兄弟でも名前を間違えそうですね\(゜ロ\)(/ロ゜)/
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