利用者のGです。
最近は「義務とは何ぞや?」と考えることが多いので、今回は「義務」をテーマに書いて行こうと思います。
義務というと、ネガティブなイメージがつきまとう。
「~~しなくてはならない」という感じで、嫌々でもやらなくてはいけない。
仕事がその典型例になるだろう。
平日の朝に起きて仕事に行く前は「面倒でだるいけど行かなきゃ」と憂鬱な気分の人がほとんどであり、ワクワク感を抱く人などいないだろう。
義務とは、そういうものである。
しかし、義務は悪い面ばかりではない。
仕事場に行くために歩き、仕事では頭や手を使う。
実は働くことにより、嫌でも体や頭を動かすことになるので、健康に良いのである。
「仕事めんどうやなあ」という気持ちがあっても、義務感により動かざるを得ないということが、健康を保つ要因になっているのだ。
このように、義務感は強力な強制力として働くのである。
定年を迎えて仕事をしなくなった人は、自宅でぼーっとしやすいようだ。
しかし、どんな医師でも「ボケないための最善の方法は、働くことです」と言うらしい。
「働かなくなっても、定期的な運動とかをすれば良いじゃないか」という人もいるだろう。
しかし、人とは「サボりたい・怠けたい」生き物であり、結局は続かない。
仕事という強制力が無くなった途端、運動不足な生活になってしまう。
仕事による義務感は、健康維持のための非常に強力な味方でもあるのだ。
こうやって考えると、義務とは人生において非常に重要かもしれない。
アメリカ心理学会のとある論文にも「暇な自由時間が多すぎるのは、少なすぎるのと同じくらい悪いことである」という内容があったようだ。
仕事をしていると、電車に乗ったり、事務処理をしたり、営業で人と話したり、強制的に身体を動かす必要があった。
しかし、定年後はそれらが一切なくなってしまい、むしろ虚無感のようなものを覚える。
人は体や頭をある程度は動かさないと、本当の幸福感は得られないのだろう。
なので、義務感が理由でもよいから、とにかく何かをして体や頭を使うこと。
一時的には「面倒だけどやらなきゃ」と嫌々に感じてても、やってるうちにそんな嫌々な
感覚も消えていくだろう。
人生においては、ある程度の義務が必要なのである。
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