こんにちは!
9月になりましたが、まだまだ暑い日が続いていますねι(´Д`υ)💦
私は前回、関ヶ原の戦いについてお話させて頂いたのですが、東軍率いる徳川家康の勝利にて、以降200年に及ぶ徳川幕府制度が続いたとお話ししましたね!
なので、今回は——
【もしも関ヶ原の戦いで石田三成が勝利していたら?!】
という点に着目して、歴史の変化などについて考察してみましょう。
まず、考察する上で石田三成がどんな人だったのかを紐解くところが最初のカギになります!
石田三成は『豊臣政権の中枢を担った、公正無私な性格と信義を重んじる義に熱い人柄でした。秀吉の亡き後、秀吉への忠義を果たすため、徳川家康に対抗して西軍を組織しました』ということを前回紹介しましたが、ならば三成はどんなことを成したかったのか紐解きましょう!
石田三成は近江国(現在の滋賀)出身でした。
当時の日本の首都は京都。お隣の滋賀は経済的にかなり
潤っていました。
戦国時代、主流になりつつあった火縄銃の鍛冶村がありました。おまけに、応仁の乱以降、姉川の戦いなどで混戦状態が続きました。
でも混戦となれば、田畑は荒れ果て、民は困窮すると思うかもしれませんよね?
ですが、近江国は火縄銃の鍛冶村があっただけでなく、刀や甲冑など戦道具の製造にも長けていたんです!なので、民は戦道具の製造に力を入れ、合戦が起これば食糧である米などを兵糧を軍事費用に充てる紙幣替わりにもなります。武器や食料を作れば作るほど儲かり、それを集める領主も、流通を担う商人も潤うという循環が起きていました。つまり、戦が起こることで儲けが発生し、経済が潤うという仕組みだったんですね。
当然、頭の切れる三成がこれを見逃すはずありません。
豊臣秀吉が行っていた太閤検地を行うことで、戦争で儲かっているのが近江国だけではないと三成は気づきます。
これは好機!と三成は思いますが、天下人となった豊臣秀吉が全国を統一し、勝手な戦争を禁じる惣無事令を出すと状況は変わりました。
戦が起こらない=平和で安心!と、民は喜ぶと思いきや、戦で儲けて来たのに戦がなくなってしまえば収入がなくなるという事態になりました。
当然そうなれば、領主も商人も儲け先を失います。武功を上げる事もできなくなった武士にまで不満は及びます。
その後、1593年から始まる文禄・慶長の役で、朝鮮総奉行に任じられ朝鮮に攻め込みますが、勝ちを得る事が出来ず更なる不満をため込む羽目になります。
そうして後に迎えた関ケ原の戦いでの敗戦を経て、石田三成の計画は潰えます。
ここで改めて議題の『もしも石田三成が関ケ原の戦いで勝利していたら?』という所に回帰すると、自ずと見えてくるところがあります。
まず、石田三成は《豊臣政権の中枢を担った、公正無私な性格と信義を重んじる義に熱い人柄で、豊臣政権を継続させようとしていた》ということ。
戦国時代、秀吉が行った太閤地検で三成は「戦をすることで全国的に儲けがある!」と気づきます。
ですが、天下人となった豊臣秀吉が全国を統一し、勝手な戦争を禁じる惣無事令を出すと状況は変わります。
儲け先が無くなった民衆の不満。武功を上げられない武士の不満。追い打ちと言わんばかりに、朝鮮総奉行も失敗。
そうして迎えた関ケ原の戦い。
戦国時代を通しての戦争経済や海外貿易を基盤としていた豊臣政権を守ることを大義名分として掲げていた三成。関ケ原の戦いで勝てば天下統一を掴むことになります。そうすれば戦争経済から抜け出せない欲を埋めるため、次へ目を向けるのは当然海外でしょう。朝鮮総奉行も亡き秀吉の悲願です。
そしてなにより、徳川政権が発足しないということは鎖国が行われない!!

これは現代日本の変革を大きく変えることとなったでしょう。
黒船来航が1853年。19世紀に発展したアメリカの捕鯨業の拠点確保、太平洋を横断する清との貿易のための燃料・食料補給基地の確保、そして太平洋からアジアへの植民地拡大というアメリカの目的を達成するためでした。東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーは、軍艦を用いて日本に圧力をかけ、開国を要求しています。
それよりも前に、朝鮮や琉球、蝦夷などを手にしていた場合を考えると日本はもっと巨大国家だった可能性もあります!
夢がありますねぇ~(*´ω`*)💕

ですが、考えられる可能性はまだまだあります。
密かに天下を目指していたのは家康のみならず黒田官兵衛もその一人でした。
他にも、伊達政宗などの戦国の猛者たちも生きていました。
となれば、再び天下動乱の世が繰り返される可能性も捨てきれません。
おまけに、元来豊臣家は大名ではありませんでした。当時まだ幼かった秀頼が亡くなった場合、覇権争いの可能性もあります。
もし天下動乱の世になっていたら、日本は未だに各大名が治める地方集権だったかもしれません。
つまり、日本というひとつの国家ではなく、美濃国や近江国など、地方自治体が覇権をもったままだったかもしれません。
天下統一というのはそれ程難しく、険しい道のりの先にあったのかもしれません。
いかがでしたでしょう?
歴史を紐解いていくことで、どんな政策があって今の日本という独自文化が形成されてきたのか知ることが出来たのではないでしょうか?
石田三成が勝って、鎖国しなかった未来のほうが良かったかもしれない!
いやいや、徳川家康が勝って鎖国してたから今の平和な日本があるんだ!と様々な意見が飛び交うかもしれません。
それに、もしかしたらまた別の武将が天下統一を果たしていたらはたまた…??
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