みなさんこんにちは!
周りの人に多趣味と言われる私ですが、最近は特に歴史に興味を強く惹かれています。
ひとえに歴史と言っても日本史、世界史などジャンルは多岐に渡ります。
なので、今回は私が歴史に興味を持った経緯や体験と共に刀剣のお話をしようと思います!
刀剣に興味を持ち始めたのは、とあるゲームが発端です。
刀を知るとともに、所有者の生きた歴史、その背景が見えてきます。刀を振い戦った激動の時代。もうなんだかワクワクしませんか?\(゜ロ\)✨(/ロ゜)/
おかげさまで、御朱印巡りと美術館巡りがはかどって止みません(*´з`)🎶
でも、マニアックなものが多いんでしょ…?と思ったそこのあなた!好きの形は自由でいいんです!へぇ~そうなんだ~くらいでも、知らないより知っている方が楽しいに決まってる!!なんてのは持論ですが、そんなこんなで多趣味になりましたオタクが語ります\( ‘ω’)/
刀剣といっても、時代や製作者の流派、種類によって形も大きさも大きく異なります。
私が刀剣に興味を持ち始めてまず驚いた事は、刀に人のような名前がついている事でした。
もっとアニメや漫画に出てくるような名前かと思っていたので、そのギャップに驚きました!
ですが、ルーツをたどっていくとその不思議にも共通点が見え始めるのがまた楽しかったりするんです(`・ω・´)/
では、今回は私がこの夏に観た二振りをご紹介させて頂きたいと思います!
一振り目は、愛知県にある徳川美術館で保管されている一振りです。
山姥切長義(本作長義)
南北朝時代、備前長船派長義によって作成された打刀です。
日本の重要文化財として、現在は徳川美術館が所蔵しています。
刀作されてから、小田原北条家へ伝来するまでの来歴は不明なのですが、刀工堀川国広に与えた影響は絶大でした。
【本作長義天正十八年庚刁五月三日ニ九州日向住國廣銘打長尾新五郎平朝臣顕長所持 天正十四年七月廿一日小田原参府之時従 屋形様被下置也】と刻まれており、意味は『この長義の刀は、天正18年5月3日に九州日向出身の国広が銘を入れた。この刀は長尾新五郎顕長が所持している刀である。天正14年7月21日に長尾が小田原へ参府した際、屋形様(北条氏直)より拝領した刀である』と、長尾家と小田原北条家の関係性が裏付けさてされている極めて珍しいものです。
いわゆる持ち手という場所、柄と呼ばれる部位にあたる刀本体の部分(茎)に名前などが刻まれています。鑑賞する際はこの部位をじっくり見られるのも醍醐味です。
この本作長義に刻まれている62文字は、ある種の脅威です。あんな狭い部分に…?と思いましたが、実際見たところしっかり刻まれていました。
号の山姥切の名に関しては、現在まだ史料的根拠となるものが見つかっていないため詳細は分かっていません。
そして二振り目は、同じ山姥切の号を持つ刀です!
山姥切国広
桃山時代に作られたとされる打刀で、日本の重要文化財に指定されています。
安土桃山時代に活躍した刀工・堀川国広が南北朝時代の備前長船長義作の「本作長義」の写しとして作られました。
写しと言っても、峰の形状と樋先の位置関係などは正確だが反りを含めた全体の姿形と茎仕立てはあまり似ておらず、当時の刀工が持つ写しについての意識と現代の復元模造に対する意識の違いが表れています。
この山姥切国広は、北条家浪人石原甚五左衛門によって井伊直政の陣営で関ケ原の合戦に参戦した来歴があります。
号の山姥切は、甚五左衛門が山姥を斬ったことからと言われています。
そして435年の月日を経て「山姥切国広」と「本作長義」の同時展示が2025年栃木県足利市の市立美術館で行われました。
私は縁あってこの二振り同時展示をこの夏に体験してきました。
全国各地から愛知県の徳川美術館に足を運んでいる方々が本当に多く、刀剣の魅力が過去からこうして現代、そして未来へ受け継がれていくという歴史を垣間見ました。
歴史と聞くと、単純に過去の出来事と形容しがちですが、実際は「過去から現代、そして未来へ繋いでいく壮大な物語の一説」だと私は思っています。
―———そして今を生きる私たちは、その繋がれた歴史の後継者であり、今という歴史の創設者なのでしょう。
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