初めは、マック・ナイト先生だ。関西学院大学で教えておられて、母の恩師を助けてくれた。
僕が個人的に知る前に、マック・ナイト先生の写真が教会の滑り台の後ろにあった。
そして、初めて出会ったアメリカ人がジム・ノートン先生だった。
母は恩師の紹介した教会ではなく、プレハブ建ての教会で伝道をしているノートン先生の人柄に触れて、毎日着いて歩いたようだ。
ノートン先生は小学校の校門に現れ、生徒を日曜学校に誘った。カバンをあげるから来なさいと誘われた。
日曜学校では沢山讃美歌を歌った。それは日本語に訳されたアメリカの讃美歌だった。
ノートン先生は流ちょうな日本語を話した。
ノートン先生からバプテスマを受けることになった。それは宗教的なので、話を英語にもどそう。
先生は体を痛めアメリカに帰国された。
次に来た宣教師は第二次世界大戦を海軍で戦った、ダン・マカルパイン先生と奥さんの
メアリーさんと東京出身の才女菅内敬子先生だった。彼は菅内先生に通訳させて英語で説教をした。ジェスチャーを交えながら、菅内先生が話すより、ダンの気持ちが先に分かった。
僕たちはマカルパイン先生のお宅で、メアリーさんから英単語の発音を繰り返し繰り返し習って覚えた。とくに「TH」の発音と「R」の発音はなかなかできなかった。
そして、中学で英語が授業になったが、先生の英語が英語らしくなくてやる気をうしなった。英単語のスペルは覚えない。英語の授業の成績は悪くなるばかりだった。
そしてまた、僕たちは引越しして、市内西部の団地に住んだ。
そこで、中学校では英語の文法が難しくてなかなか理解できなかった。
母は教会のアメリカに留学して帰国した淳子さんに家庭教師を頼んだ。若い女性だが厳しかった。やる気を奮い立たせてくれた。彼女が出す宿題を素直に解いて付き合った。
おかげで、「現在完了」「受動態」が分かり。単語も覚えるようになった。
友達とも英語で話すこともあった。お前ではなく「You」と言っていた。
高校は残念ながら成績は低迷した。勉強に手が付かなかった。
しかし、2年生の夏休みに父がアメリカに行かせてくれた。
14日間の旅行でリッチな旅をした。そして、ホームステイしてアメリカ人の家族と
交わりをもった。英語は話せなかった。ホテルもここは日本じゃないと急かす日本人の相手はなかなかしてくれなかった。でも最後は、ロサンゼルスの街を一人で歩いてカーペンターズのLPを買った。
大冒険だった。
偏差値の合う大学を探し、東京の日本大学理工学部交通工学科へ進んだ。
学内では話し合える友達はなくて、キリスト者学生会のOCF(overseas christina fellowshipに参加した。ここはアメリカと違い、アジアからの学生が多かった。そして、ブラジルからの日系帰国子女もいた。楽しかった。
大学3年生のGWにマレーシアで開かれたIFESの東アジア地区大会に参加した。
そこで同じグループになったシンガポール人のNg Tim Pengと仲良くなった。
彼は照れもせず。ガールフレンド作りに正直だった。僕は度肝を抜かれて本音で話す彼に引き込まれ、いつの間にか英語で話していた。
後に彼の家を訪ねて新婚旅行でシンガポールへ行った。
そして、彼と距離ができて、今は、the mission to seafaresのチャペルに行くようになり、今度は英国英語に親しんでいる。チャプレンとメールでやり取りしながら彼についている。
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