キャリカク茗荷谷オフィスに通っている けーちゃん です。
今日は、文京区の歴史について調べました。

私たちの先祖がこの地に住み始めたのは、遠い昔の旧石器時代だといわれています。かつての向ヶ丘弥生町で見つかった土器は、現在も使われている「弥生式土器」や「弥生時代」という名前の由来になりました。
戦国時代、後北条氏の支配下にあった頃、駒込・小日向・小石川・本郷・湯島といった地名は、まだのどかな農村として記録されていました。
江戸時代に入ると、大名屋敷や武家屋敷が並ぶようになり、伝通院や護国寺、根津神社といったお寺や神社も次々とこの地へ移ってきました。湯島や本郷の武家屋敷周辺、そして白山や根津の門前町では商売が盛んになり、まちとしての賑わいを見せ始めます。
また、江戸を代表する学びの場として湯島聖堂や昌平坂学問所が置かれました。この「学びの精神」は明治時代に引き継がれ、学問所の跡地には東京大学が移転。水戸徳川家の庭園は「小石川後楽園」に、柳沢家の庭園は「六義園」として、今も人々に愛される緑豊かな名所となっています。
明治11年、小石川区と本郷区が誕生しました。明治政府が教育に力を入れる中、この地には坪内逍遙、森鴎外、夏目漱石、樋口一葉など、日本を代表する多くの文豪たちが住まいを構えました。 彼らがこの街を舞台に描いた数々の名作は、今も色あせることがありません。
昭和12年には、東京砲兵工廠の跡地に3万人を収容する「後楽園スタヂアム」が誕生。しかし、戦争の影が忍び寄ると、スタジアムは野菜畑や高射砲の陣地へと姿を変えていきました。
戦後は、学生の街らしく下宿屋が旅館へと変わり、地方出身の学生を支える県人寮も増えました。昭和22年、日本国憲法の制定とともに東京都は23区制となり、小石川区と本郷区が合併して、現在の「文京区」が誕生したのです。
戦争で街の多くが失われましたが、区民の懸命な努力によって復興を遂げました。平成14年には、区の憲法ともいえる「『文の京』自治基本条例」を施行。
今後、協働・協治の理念のもと、区民や団体事業者等と協力し、豊かな文の京の実現を目指しています。
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