10月半ばまで30度近い気温が続くと聞いて地球温暖化への恨みつらみを募らせている筆者です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。前回のブログでも恨みを募らせておりました。
さて、何度もブログを書かせていただいていると、だんだん書く内容も尽きてきます。これも前回もなんなら前々回も言っていますね。
今回は、筆者のブログが長い要因の一つになっている筆者の特性について取り上げようかと思います。
筆者はどこかで書いたかもしれませんが、文系で大学院修士まで進み、自分の研究している分野が日本ではまだあまり発展していないことを知り、学生の身でありながら最先端の研究者の方々が取り組んでいるものに挑戦するのは流石に無理があるだろうと感じ、大学院を中退した過去があります。
筆者は本当に学問を学ぶことや探求することが好きで、高校の時でも苦手な科目はありましたが、嫌いな科目はなかったほどに、あらゆる分野に対して知的好奇心を高く持っているという自負があります。
筆者が大学の学部で得た最も大きなことは「解釈や考察を科学的に正しく行う」ということです。どういうことか、説明します。
「解釈」「考察」と聞いて、どういうことを思い浮かべますか?「考える」だけでしょうか。「自分なりの」という言葉がセットで出てくることもあると思います。

まず単語の辞書的説明から見てみましょう。
デジタル大辞泉より引用します。
かい‐しゃく【解釈】
[名](スル)
1 言葉や文章の意味・内容を解きほぐして明らかにすること。また、その説明。「徒然草を解釈する」「英文解釈」
2 物事や人の言動などについて、自分なりに考え理解すること。「善意に解釈する」
こう‐さつ〔カウ‐〕【考察】
[名](スル)物事を明らかにするために、よく調べて考えをめぐらすこと。「深い考察を加える」「日本人の社会意識について考察する」
ある対象や言説があったとして、それに対して「解釈」や「考察」を行おうとするとします。すると、その対象や言説について調べたりたくさん考えたりして、それを理解しようとする。そしてその理解を他者に説明したり、どこかに文章として残す。それが「解釈」や「考察」という行為になる。というようなところでしょうか。
「解釈」の辞書的意味には「説明」「自分なりに」という言葉が含まれています。対して「考察」の辞書的意味にはそれらがない代わりに「考えをめぐらす」という言葉が入っています。ですが、実際に自分がこれらの言葉を使う場合、どちらの意味もどちらともの単語に含めている気がしませんか。「私の解釈としては~」「私の考察としては~」という時、調べたかどうかはおいておいて、自分なりによく考えて一つの解にたどり着いたので説明するという状況にあるのではないでしょうか。
また、現代のSNS社会において言葉の意味の変化は目まぐるしく起こるので、これらの単語にも同じように意味のずれ(あくまで辞書的意味からのずれ)が起こっているように筆者は感じています。本来「理解し考える」ことの方が重視されていたのが、いつの間にか「自分なりの考えを話す」ことの方を重視して、これらの単語が使われているように感じます。筆者は別にこの意味のずれが悪いことだとは思っておらず、言葉は生き物と言いますから、それもまた一興だと感じています。筆者自身も後者の意味で使うことの方が多いですし。
さて、みなさん。ついさっき筆者が「解釈」「考察」を行ったことに気付きましたでしょうか。少しややこしいですが、「解釈」「考察」という単語に対して解釈や考察を行ったのです。まず調べて、そこから現実や実際どのように使われているかについて考え、それについて説明しました。この行為自体が「解釈」「考察」というものだったという構造なわけです。
このように、ほんの些細なことでも十分「解釈」や「考察」を行うことが可能なわけですが、筆者が大学の学部で得たのは、これをいかに「科学的に」「根拠をもって」行うかということです。
大学に限らず、研究に限らず、本来情報というものは正確であればあるほど良いのですが、スマホをみんなが持つ時代においては、誰もが簡単に情報を発信できてしまい、そこに科学的根拠があるかどうか、信じてもよい情報なのかを判断するのは情報を得る側の責任になってきています。本来は情報を発信する側がすべきステップを受け取る側に押し付けている状態にあるわけですね。学問の世界では、正しい情報を書くということは当たり前の事です。どうやって正しい情報かという説得力を持たせるかというと、他者の論文や文献を引用して「ほら同じようなことを言っているでしょう」と、自分一人だけが言っているわけではないということを示すことで説得力を担保しています。
上記の私の「解釈」「考察」への解釈や考察に説得力を持たせるにはどうすればいいと思いますか。
まず、実際に使われている用法に関しての裏付けが薄いですね。これを解決するにはアンケートなどを用いて、多くの人がそのような用法をしているというデータを示すという方法があります。
また、意味のずれという点にももう少し補足が必要でしょう。「言葉は生き物」という言葉だけでは少し不十分かと。語用論などから引用してきたりすることでもう少し根拠が強くなるかもしれません。
こういった風に、「もっとこうすれば強くなる」「もっとこうすれば信じるに値する考えになる」という試行錯誤が筆者にとってはとても楽しいのです。この自分の特性のおかげで楽しいこともたくさんあれば、大変なこともあったり。いずれにせよ、今の筆者はこの特性のおかげで、たくさんの事を勉強し、新たなベクトルから物事を解釈したり考察したりすることができることで、さらに楽しくなるというループにいますから、総じて良かったなと思っている次第です。
今回も長文になってしまいましたね。本当はもう一段階やりたいことがあったのですが、それはいつかの機会に回しましょう。
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