みんなこんにちは!
毎週月木は20時まで一人で過ごす日、半身麻痺の身では細かい移動も大変で今日も勤務が始まるまでに物は落とす飲み物は取れないトイレに間に合わないと散々でした。強引に片づけて粗相の痕跡はなんとか残ってないはず。
滑り込んで勤務開始です。
さて今日は2012年4月27歳からスタートです。
自衛隊を同年3/31に除隊し翌日のには在隊時から何度か声をかけて頂いた地元電力会社にいました。
内定時は物流課と伺っており配送と物品管理するものと覚悟を決めていました。
特にすることもなかった上に初の電車通勤だったのもあり8時半スタートの所6時には正門に着き守衛さんに挨拶し清掃道具を借り外周を清掃したのち配属事務所の人を教えて貰いながらあいさつを交わし和やかな雰囲気のまま始業時間を時間を迎えました。この間に物流課長や本部長ともあいさつを交わし、やや反応がおかしくはあったのですが自衛隊気分が抜けてなかったので上官の言うことに口をはさむ感覚は0でした。
この時に違和感をつぶしていたら僕の人生はまだその会社に残り課長あたりにはなっていたかもしれません。
厳かな雰囲気の中入社式が始まり粛々と進み今年度の新人6人?程度の配属の挨拶となりました。
声量を確認した所全力でと言われましたので工場の機械よりでかいくらいの声で挨拶し何人かおびえたタイミングで部長から僕の前職の紹介があり、続いて相談がありました。
警衛(警備課)から依頼があり本来入るはずだった子がここに入るなら辞めると言い出していて困っている。加藤君なら慣れてそうだしどうかな?と。
上官の気持ちを読むことに長けていた私は言い終える前に警備課に行くと声に出しました。僕をスカウトしてくれた人と中学の先輩が苦笑いしてたのが見えました。
そんなこんなで警備課としての日々が始まります。
雑用含め大体なんでもこなし指示されれば関連する雑務もこなす僕は2か月もたつ頃には他部署も含めて動けるマルチ要員となっていました。
警備課の仕事は敷地内のパトロール通勤時間の交通整理、受付対応また特異性が高かったのは正門から車両で25分以内に行ける契約物件への警備業務。要は有名な警備会社と同じような事を地元に特化してやるみたいな感じです。僕は警備員資格を持っていないかったので警備機器の取り付けオーナー折衝。営業や関連する部材の発注や加工。中でも主は図面の作成や警備プランの作成。またメインシステムの管理や登録などもやっていました。
驚くことに400件近くある警備対象に対して管理者2人(+警備長+課長)。何故これがまかり通っていたのか
ずっと謎でした。
弱電経験のあった私はすぐに全てを修め2人しかいなかった警備課メンテ班は稼働率100%近くとなりました。
ここから良くない流れが始まります。
オーナーへの顔合わせもほぼ終わりg業績も伸び続け経歴の面白かった僕は毎日オーナーから呼ばれるようになっていました。多少無茶なプランも僕が泥棒役で実行して見せれば契約に繋がり易く、工事に関しても僕の方が早くて正確だった為、先輩の機嫌を損ねることが増えました。この時点ではたまに機嫌が悪くなるくらいで年齢差も一回り近かったので実働は僕で運転は先輩みたいな形が主流となり、プランは僕が出し決定は先輩で3年ほど順調にすぎました。この間に警備課が嫌がられる理由は察しがついていましたが特に気にしてなかった事で今後つらい時期となります。このあたりでは休日に呼び出されるのが普通になっていました。
先輩との溝が決定的になる年がやってきました。
2人はすっかり何も聞かなくても業務を消化するようになり課長からの要求が日に日に増して来ていました。
休みに呼び出され謎の工事や草刈りオーナーの引っ越しなどや相談に乗る日々にも
既に疑問は消えていた頃、転職のきっかけとなる暑い夏が始まります
でかい会社だったので田舎に系列工場もたくさんあり、課長がそこにも営業をかけ全工場の塗りなおし作業の仕事をとってきました。前年冬にも同様のがあり受けてしまったのなら仕方ないとしぶしぶこなしたものの強化版でした。
その時は交通費や食費、出張手当や残業代などもあり土日挟む場合は代休も発生する形でなんとか期間内におわらせて終わりましたが、警備側からの反発は激しいものでした。当然です。通常業務に無かった仕事で主力が二人いなくなったのですから。いない間に合ったトラブルは当然僕が休みに対応してました。
この頃には平日は出社してトラブルがないのを確認して帰るようになってました。
それも警備員からすると良くなかったんでしょう。文句言うなら代わってください位は普通に言ってました。
まだ会社が儲かる話しなら理解はできるんですが、外注すると億単位の工事を公式には1件20万とかでうけてたんですよね。材料費相手持ちだし身内だからで済ましてましたが握ってたと確信してました。生活や夜の遊びに出ます。そしてひと夏でドームを4つ塗りなおすような地獄の日々が始まりました。工程としては前の塗装を手作業で削り錆防止を塗布。下塗り2回本塗2かいというものでした。これを2人でドーム一つ20万です。何も知らなくてもおかしいと思いませんか。僕は1ドーム目が終わる前にこの件は消えると確信してました。土日もなく仕事して40℃を超える作業を疲弊した先輩と僕で完遂できるわけがないと思っていたからです。
予想は外れやりきることとなります。
課長以外が不安なまま始まった初日、二人で文句をいいつつも頑張ろいと支え合いなら現地に向かい僕はこの時点で落としどころを相談していました。人力では現実的ではないノーヘル足場なしでは許される作業でもないそもそもケレン作業だけでもひと夏は終わる。本業をどうするのかなど理由はいくつでもありました。先輩はでも課長には恩があるからとしか言わなくなってました。今考えるとこの時もう鬱だったのかなと思います。当時の僕は別で金もらってるのかなと考えてました。
到着して工場長と挨拶を交わし、何度も条件知ってるのか聞かれ初対面なのに同情されたのを覚えています。この人はとても良い人」で最後まで僕らを心配して会社を辞めて数年全部お金は出すからと誘ってくれてました。いい思い出はこの人と工場の人たちは暖かく見えたことだったくらいですね。あとは地獄を知れました。燃え盛る気仙沼や復興支援より体力的にはきつかったです。安全の大切さを学んだのはこのあたりでした。国の定めたルールは守りましょう。
そしてやっと始まる作業、工場の人たちの視線にさらされながら登る僕、気温は35℃を超え真夏の海とカラッとした熱風を感じていました。先輩は既に半裸。経験からこの日差しは脱がない方が良いと学んでいて先輩にも言ったのですが無視。多分余裕藻なかったのでしょう。1時間後には倒れていました。
二人で1時間かけて削れたのは近くの屋根の上から人が一人通れるかなって範囲が上から3m程度。このペースだと2年かけてもドームどころか周りの小屋も終わらないなと思い写真を撮影し先輩の状態を確認しつつ久しぶりに運転し帰りました。
会社に着くころには21時。そこからメンテナンスの仕事しトラブルの対応を考え現場に向かうか報告書を客先に提出して後日対応するかを考え警備員からの罵声に耐える日々が始ました。24h勤務なので誰に合っても罵声を浴びます。中には同情してくれる人もいましたが実際警備員さんたちは何も悪くないので耐えていました。悪いのは課長とまわってないのに意見を言えない警備長だと思っています。警備長は40前後でかなり癖の強い内向的な人だったので同情はしてます。課長が普通なら定年まで無難に仕事できたでしょう。余談ですが僕が辞めて数年で警備長を辞任し他の部署に回るも数年で退社したとの事です。立場が違うので良く意見は割れましたが結構好きでしたよ今もどこかで元気でいて欲しいとはおもっています。
2日目は前日の報告から、おそらくわざと来なかった課長の代わりに本部長を呼び報告。課長に確認するとお茶を濁されるも本業が疎かにならない方向性で調整すると約束を貰う。この辺りは本部長の状況を知らないので今でも解りません。想像の中では手堅い人なので万事上手く整えたかったんだろうなとおもっています。この頃には言葉ではなく行動で人を判断してたと思います。記憶の旅は自分の遍歴も思い返せて良いものと思えてきてるのでみなさんも機会があればおすすめします。
2日目は一人で向かいやれる範囲で進め早めに戻って(17時前後)本業をこなし課長を捕まえ状況報告と警備員から不満が出てるので警備長か警備員の同行を依頼しました。
その週は後は同じような日々です。
2週目警備員同行の話しが決まるも人選と調整に難航。人が居ないのに更に抜く話なので当然。多少強引に説得し、
3週目のあたまに警備長と非番の人にの同行が決定。場当たり的な日々を過ごす。
この辺りで経理からの不満が爆発。残業代飯代出張や遠方手当消滅。更に始業終業を現地で迎えるのが常識だろと課長からありがたい言葉を頂く。これにより」3時起きよくて25時就寝が確定。まだ我慢出来てた俺やはり自衛官の力を感じる。24時間ノー残業費経験者の悲哀。
そして迎えた三週目
このころには除隊して色も落ち着いてきた肌も日本人というよりはクワガタみたいな肌になり。半日で地面には水たまりつくってるけど倒れない体を再獲得。再び無敵モードとなる。この頃には先輩に自我はなかったように見えてました。辛うじて好きなオタク趣味の話しが帰ってくるくらいであとは微妙な相槌だけ。まあいないよりはいいかくらいの扱いでした。こちらと同調はしてくれないので課長のペットくらいの感覚ですね。でもまだこの頃でも関係マシだったんだよな。
案の定同行してた二人も倒れ、一人で作業をこなし早く帰りたいと思うも現地で終業まで迎えるとの指示で帰れず。僕に不満を言われてもどうしようもないので警備長の立場で従わせてくれればいいのに、それは嫌がるんだもんな。
21時過ぎに帰り僕らに同情的な意見を言いつつも減らない仕事はしっかり押し付けてきて警備長の強さを確認、上へ媚び下に強い姿勢を軽蔑しつつもそんなこと気にしてる暇あるなら少しでも早く終わらしたい気持ちが勝ち当然のように終電へ。この頃には特例で敷地内に駐車が認められ車通勤なる。
そしてまさかの全工場への警備計画が始動。これにより夏場の塗装は中止。するはずもなく平行作業となる。ここで殴らなかったの偉い。先輩の顔はこの頃には常にベトベターみたいな顔になってたので感情は判らず。
ここで僕の計画もさらに狂いもう逃げ場は辞めるしかないことを悟る。
しかし辞めることを逃げだと思っていた私は諦めがつかず休みに勝手に出て完工。強引に塗装を再開する。そのまま年末までかけ1つ目の工場を塗装完了。出来はしろうとにしてはうまいくらいかな。
当時の形態が動けばそのうち公開しますね。
その後二年かけ4工場を完了。飽きてきて適当になってないかだって?
ごめんね。
長かった警備課もあと1年でおわるよ。
この頃には会社でも知らない人はいないくらいの超人になっていて親会社への誘いもきていた実際給料も同期では比べれないくらい高かったかな。気分は夜の仕事だったけど。この頃には会社に恋人と住む変態で結婚も考えてたかな。上の生活しながらやることやってたの凄くない?羨ましいとおもったあなた、ありがとう悲恋です。
多少つらくても守る人ができると頑張れるよ。きっとみんなにもいつかチャンスは来るよ。
僕は同棲経験2回あるけどどっちも会ったとことないまま付き合ってあって初日で同棲決めたからね。
今は僕の時よりもゲームでの出会いも増えてるから諦めないでね。僕の結婚した時のスペックは173cm100kg無職カードゲーマー、ネットゲーマーみたいな感じだからもっとましな人がほとんどでしょ。
また脱線してごめんね。
そして僕の退社を確実にした年。
デカい案件をストックしてこなすのも当たり前となり後輩もものになりつつあった。
警備員からメンテ班に異動になり先輩であり後輩のF君。糞ヤンキーだけど僕と先輩にはなついてくれた子
3人で回ることで先輩も感情をとリ戻しつつあった。
これがきっかけだったのかもしない。本来後輩って先輩を敬うよなみたいな言動が増えた。
当然と言えばとうぜんだったけど、この人は何もしなかった人とこの時には位置を確立したので
いまさら何ってんだこいつとしかおもっていなかったよね。先輩面するならもっとなんかあっただろって感じ
しかも実働は俺。
僕の主観だと優しいだけでF君は懐き、僕は先輩を軽んじる仕事だけは出来るゴリラ。そんなとこかな。普段は先輩を立て、仕事は僕に聞きに来る感じで数か月過ぎ先輩はF君が僕になついてるのも嫉妬し始めた。ここからは酷かった。
基本的に先輩は定時。僕は全部解決するまで残業(大体朝だけど会社に住んでたからセーフ)
そんな中で地元の大企業と学校と保育園の新築に警備機を取り付ける案件が重なる。新築の間に取りつける本格的なやつ。並行して僕はマンションを2棟。同時5件は当然3人のキャパを超え。全員余裕のない日々になるのは直ぐだった。F君の分は当然僕が見て他は先輩と力を合わせてやると思うのは普通だよね?実際僕が把握してるうちはそうすs進み。保育園は二人でやるところを先行して合わらせるとこまで来た。お互い人が居るところはフォローしていい感じだった。そんな時事件は起こる。新築の保育園で二人で作業中。先輩が誤って新築の壁をハンマードリルでぶち壊してしまった。しかもそのままパニックになって、僕に伝えに来たのは職員だったのだ。僕は謝罪と補償と今後の計画を自分の責任でせつめいすることととなる。横には泣きわめく先輩と僕を見つめるF君。なんとかその場を修め
なんとかその場を収め課長に報告して事後の許可を取り付け錯乱した先輩にかけよる。そこで待っていたのは強烈な拒絶だった。気持ちは判る。つもりだった。頭が割れると喚く先輩を早退させF君とやれる事をし早めに戻って課長に報告。先輩の事は伏せたけど次の日には課長経由かみんな知ってた。
これが決定的となったのか僕は作業を手伝う。先輩的には足を引っ張るから帰るが普通になってしまった。一応忙しいから手伝えなくてごめんねとかは毎回言ってくるけどsnsで全部言うから見えてるんですよ先輩。あなたが仕事押し付けてラーメンや焼肉食ってる時も僕は徹夜覚悟で現場してました。
ここで僕の中で完全に先輩が消え異動願いを出します。その日に課長から呼び出されF君と共にカラオケと飲みに。
課長としては先輩との問題で転属を希望したと感じたようで、もう少し先輩の立場になれないかと諭されました。
当時の僕はなんて答えたかな。気持ちは判らなくもないが私情を仕事に持ち出す人に命を預けれませんかな。
半分以上は課長が理由とは言えなかったな。
そして言われる「俺がいるうちはお前は他には出さないよ。」次の日の朝一で一度目の退職願を課長に出しました。
そこからしばらくは一人面識のあった職人さんを日雇いし大きな案件を片付けつつ、他課に自分を売り込みましたが社内のもめ事を覚悟できる課長はなかなかおらず一度辞めてから来るか?と言われる始末。
結婚を考えていた僕は会社を辞めれずにいました。
そして課長から新たな提案を受けます。
警備長をめざさないか、と。
終わりの始まりでした。
当時の勤務は08:30開始、翌日同時刻終わりを日勤、16:20開始を夕勤、19:30開始を夜勤とし
夕あけ夜あけ日あけ夕休休日休の11日シフトの1年が始まりました。
楽しくはありましたが体は蝕まれていくのを感じていました。
この一年で警備員からの信頼は取り戻せましたが
将来の不満と常に戦っていました。
そして彼女のメンタルブレイクをきっかけに加速していきます。
とんでもない別れ方になりましたがその後付き合った子とスピード結婚。そして日勤に戻ります。
しかし1か月もせず夜勤に正式配属となります。
家族寮もあるしいいよねと言われ腹を立て2度目の転属願いを出すも今度その場で捨てられました。
同時並行で探していた転職先にお世話になりたいと打診し今度は転職願を出しました。これを一月後後に
捨てられたことを知りこんどは内職届を本部長に直接だし当日付けで辞める形となりました。
辞めるその日までもめたのを覚えています。明日からは建設監督のはじまりです。
倒れるまで後数年。この時はまだ体力の低下をやや感じているくらいの体力自慢でした。
CONTACT


